棘
様々な痛みを感じなければ生きてなどいけない。大切な人がなくなったり、叶わない恋をしたり。痛みを表現して生きていく姿は、喜びを表現する事と同じ様に、もしかしたらそれ以上に人の心を動かすのかもしれない。
私の一番深く刺さっていた棘は、やっぱり母の自死だろう。小学生の頃、私は痛みを感じない様に感覚を麻痺させて生きる術を身につけた。何も感じない様にする事で、生き延びてきた。だけど、いつも何かが満たされない。誰と寝ても、淋しい。
25歳の時に私は働きすぎて統合失調症を発病した。精神閉鎖病棟で4ヶ月間も入院をしなければいけなくなった。逃げ続けていた私の中の痛みと、ようやく対峙する為の時間を何者かが与えてくれたのかもしれない。
「棘を抜かないと、次には進めない」
言える事で傷は癒えると言うのは、あながち嘘では無いと思う。私は母の事はあまり人に話さなかったが、病院のお友達や先生には話す事が出来た。家族の自死と言うのは、人にはなかなか言えないものだ。私がそうであった様にそんな人は多いんじゃ無いだろうか?
それはきっと、何となく同情される様に感じるからだと思う。母の存在が、その場の空気を少しだけ重くしてしまう。情けの目を向けられるのが私は嫌いだった。私は自分の事を可哀想だとは、これぽっちも思っていないからだ。だから、新しい職場に就く度に私は母の存在は誰にも言わない様にした。病気で亡くなった事にして、深く話す事を避けた。
「痛がっているその胸の棘を抜いて行きましょう」
野村先生は、そう言って眼鏡の奥の細い目をさらに細めて笑った。今日も白衣が良く似合っている。色白で髪の毛はいつもサラサラで清潔感が漂っている。私の話を聞きながらノートに独特の字を書いていく。
「先生の字は、何だか呪文みたい」
そう言って、私はよく先生の独特の字の書き方をからかって笑った。私の話をとてもよく聞いてくれる先生で、私は野村先生をノムちゃんと呼んで慕った。
病院では、虐待やいじめ、辛い経験をしているお友達に何人も出会った。今まで言いにくかった母の話しを、私はその子達にはすんなり話す事が出来た。虐待されていた話しを、いつも笑い話しに変えながらしてくれる守。壮絶ないじめにあっていた桃ちゃん。何でこの子達は、笑って話せるんだろう?私もようやく母の事を笑って話せる仲間が出来た様な気がした。
写真
鶴岡八幡宮の蓮
花言葉✳︎ 雄弁、沈着