パリパリの病院着



祖母が近くに入院しているとのことで、
急遽お見舞いに行くことになった。
目が悪く、何度も入院をしたことがある祖母だったが、今回は心臓が悪いらしい。


前の用事が押してしまって、予定よりかなり遅い時間に、走って病院へむかった。
楽しみにしてくれているのに待たせてしまった。
こういうときに待つのはどれだけ心細いだろうか。私には想像できる。
待って待って、面会時間がたった5分だなんて、
ひとり待っている寂しそうな背中を思い浮かべて、いたたまれない気持ちになって。
必死に走っていた。



急いで行った病院のそこで、おばあちゃんは私に会えたことが嬉しくて泣いていた。
私なんて、この前まで何もうまくいかなくて、社会に必要とされてないんじゃないかって、死んでしまったほうがいいとまで自分を責め続けていたのに、
ただ会いに来ただけで、
嬉しくて泣いてくれる人がいる。


待たせてしまっても、たとえたった10分でも、役に立たなくても、ただそこに向かうだけで、私の存在だけで、嬉しくて泣いてくれる人がそこにはいた。


それだけで充分で、なんだか私も泣いてしまって、そんな人がいて、幸せで、嬉しくて、たまらない気持ちになった。


手を握って、ハグをした。
おばあちゃんの背中は、記憶よりも丸くなっていて、さすった皮膚は、少しふよっとしていて、ぱりぱりの病院着が少し浮いていた。
私がついているからねという気持ちになった。


家から離れた場所で、手術を控えて、ひとりで、どんなに心細いだろう。
なんの慰めになるかわからないけれど、手術のときは、私もそばにいるからねと声をかけた。



面会場所には同じくぱりぱりの病院着を着た入院患者さんが何人も歩いていた。


先週食中毒になったときは、熱が40℃も出て、もう大変な状態で、それでも身体は生きようとしてくれて、1週間あれば美味しいご飯を食べることができるようになっていて。体が健康でいてくれるうちに、私ができることを、私なりに、小さな幸せをたくさん見つけていきたいと思った。
そして、存在だけで認めてくれるようなかけがえのない人たちの健康と幸せを祈ること。



それが今の私にできる一番のことかもしれない。

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