最初の記憶
私が覚えている一番最初の記憶は、保育園時代。
母は、20代の時に職場で事故に遭い左半身不随の状態になり、東京の病院へ通院。
その時に父と出会った、と聞いています。(実際、父方の祖父と最初に母は知り合ったらしいですが、記憶が曖昧なので省きます。)
半身不随の体をどうにか治そうと必死だった母は、医者がポロッと言った
「子供産んで元気になった人もいるからねー」
の一言で子供を産もうと決めたらしく。
当時母は37歳。
体も悪く思うように動かない母と、今で言うデキ婚したのが父。
その頃は、定食屋をやっていた父とその隣の敷地でゲームセンターを経営してた祖父、そして母と私で生活していて幸せだったとの事。
私が一歳になった頃、祖父が突然失踪。
家の敷地を売り飛ばし、どこかへ失踪したらしいです。(書きながら、どんな爺ちゃんだよ、と今になって考えて笑ってしまいましたが。)
定食屋を畳み、賃貸のボロアパートへ引っ越し。
父はトラック運転手を始めました。
母は相変わらず体調が悪かったので、私を保育園に預けて病院通いをしていました。
この頃の私の記憶は、消毒液の匂いと、毎日横になって寝ている母。
お金もなくて、父は慣れない仕事をして朝早く夜は遅い。
母もワンオペ育児だったからでしょうか。
機嫌が悪かった事を覚えています。
保育園の送り迎えは基本は母でしたが、近所の人だったり友達のお母さんだったり。
母が迎えに来てくれた時は、凄く嬉しくて。
でも、家に帰ると母は横になり、抱っこをしてもらう事も難しい状態でした。
心配で心配で、でも、気の利いた事を言えなくて、ただ母の側で座っていました。
褒められたい、認められたい、一人でなんでもできる、一人で考えられる、そんな事を常に考えていて。
でも、それを母に気づいて欲しくない。
私は大丈夫、が口癖の保育園時代だったように思います。