前の記事に書きましたが、保育園に通っていました。 三歳になり、母から言われたのが。 「幼稚園だったら年少さんから入れるよ。今のまま保育園と幼稚園どっちがいい?」 という選択肢を与えられました。 今考えると、親に自由に(私の意見を取り入れたもの、という意味です)選択肢を与えてもらったのはこの時だけ。 と言ってもたかだか二択なので、それが自由だと思っている私も相当アレかな、とも思いますが。 保育園に迎えにくる、元気なお母さんが羨ましくて。 幼稚園に行ったら、もしかしたらお母
私が覚えている一番最初の記憶は、保育園時代。 母は、20代の時に職場で事故に遭い左半身不随の状態になり、東京の病院へ通院。 その時に父と出会った、と聞いています。(実際、父方の祖父と最初に母は知り合ったらしいですが、記憶が曖昧なので省きます。) 半身不随の体をどうにか治そうと必死だった母は、医者がポロッと言った 「子供産んで元気になった人もいるからねー」 の一言で子供を産もうと決めたらしく。 当時母は37歳。 体も悪く思うように動かない母と、今で言うデキ婚したのが父。
はじめまして。 ゆう、と申します。 今現在は夫と三人の子供達、二匹の犬と暮らすフルタイムで働いている兼業主婦。 放送大学で心理学を学びつつ、公認心理士の資格取得を目指しています。 ちなみに、行動力だけはあるので、近いうちギターをやってみたいな、と思っております。 結婚する前は、両親と子供一人(私)の三人家族でした。 両親との関係は悪く、とてもきつい幼少期を過ごしていたような気がします。 今後、少しずつですが幼い頃からの日々の記録を書いていきたいと思います。 宜しくお