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私が歩んだ道とこれから〜儲かるサステナビリティを目指して

25年に渡り「儲かるサステナビリティ」を推進してきたサステナビリティ経営専門家の磯貝友紀です。Noteを初めて2か月、今回は、改めて、自己紹介をさせていただきたいと思います。

早いもので、サステナブル・ビジネスに携わるようになって20年以上がたちました。これまで、アフリカや東南アジアの現地ビジネスの推進という現場レベルの仕事から、経営コンサルとして「サステナビリティ経営とは」という経営理論化まで、様々なレイヤーでサステナブル・ビジネスの推進に携わってきました。そして、2024年8月からは、ジャパン・アクティベーション・キャピタルに、チーフ・サステナビリティ・オフィサーとしてジョインし、投資家として、サステナビリティの視点から投資先企業のバリューアップを支援する仕事を行っています。

今日は、私がサステナビリティ、そして、サステナブル・ビジネスを志向するようになった動機、そして、なぜ投資家になったのか、これから何を目指しているのか、お話しさせていただきたいと思います。

不公正に対する憤りをドライバに、国連を目指す

私はもともと、世界の貧困や格差問題に強い問題意識を持っていました。きっかけは子供のころに見た、エチオピア飢饉のドキュメンタリー番組です。

私は1975年生まれなのですが、当時は、エチオピアとバングラデシュの飢餓問題が深刻で、しばしばニュースなどでも取り上げられていました。そうした時代背景の中、おそらく幼稚園ごろだったと思うのですが、エチオピアの飢饉の特集番組を目にする機会がありました。

番組では、がりがりにやせ細って、おなかだけが膨らんだ子供の映像が流れていたのですが、私は、この番組を父親と、ケーキを食べながら見ていたんです。この時、「自分と同じぐらいの年頃の子供が飢えているのを、地球の反対側でケーキを食べながら観ている」というコントラストに、子供心に大きな衝撃を受けました。

その衝撃を、当時、言葉にすることはできませんでしたが、それは今考えると「不公正に対する憤り」だったのだと思います。その時感じた「不公正に対する憤り」は、その後、長い間、私の原動力となり続けました。

私が若かったころ、こうした問題にアプローチするには、国連などの国際協力に携わるしかオプションがありませんでしたし、多くの使命に燃えた若者が、国連で働きたいと夢見ている時代でもありました。実際、1975年にベトナム戦争が終結して以来、1989年の湾岸戦争までは、(内戦を除き)大きな戦争は起こらず、国連を通じて世界は平和に、よりよくなっていくような、そんな楽観的な雰囲気が世界を覆っていたように思います。そんな時代背景の中、高校生になった私は、国連に勤めようと思うになりました。

人の命は尊いものなのか?根源的問いに答えるために哲学科へ

国際開発の仕事に就きたいと思う一方で、どうしてもぬぐえない疑問がありました。「本当に、豊かなことは良いこと、貧しさは克服されるべきことなのか?」、「自分が命を助けた人が、もし将来自殺してしまったとしたら、それでも人の命を助けたことは正当化されるのか?」、「そもそも、本当に人の命は尊いものなのか?」というような疑問です。

こうした疑問は、国際開発の分野に携わる人のほとんどが、胸に抱きながら仕事をしていると思いますが、私には、どうしても、こうした問題をしっかりと整理してからでなくては、国際開発の分野に進めない、と思われました。

そこで、大学では、哲学科に進み、学部ではドイツ批判哲学を、修士課程では近代フランス哲学の現象学、解釈学、実存主義等を学びました。そこで得られた私なりの答えは、「絶対的善悪は存在しない。ただ、人間一人ひとりが、良かれと信じた実存を生きることしかない」という、ごくごく当たり前のことでした。

得られた結論は当たり前のことだったかもしれませんが、哲学を学んだことは私にとって、その後のビジネス・パーソンとしての人生の中で、とても貴重な財産となりました。徹底的に考え抜く力、ものごとを疑いぬく力は、哲学の基本です。私は、何の訓練も受けずにコンサルになりましたが、訓練を受けた多くのコンサルメンバーに負けずに仕事をしてこれたのは、誰にも負けない、「疑いぬき、考え抜く力」を哲学で鍛えられたからと言えるでしょう。

更に、哲学は「異なるロジックを展開する相手がいたら、その相手の論理体系をメタ認知し、さらに高次の論理体系を展開する」ということが求められます。多くのサステナビリティを志向する方は、「これが世界にとって良い」という論理でビジネス・パーソンに対峙し、利益を重んじるビジネス・パーソンと、お互い理解しあえずに終わる、ということが生じていると思いますが、私は「不公正に対する憤り」を胸に抱きながらも、同時に「不公正に憤りを感じないビジネス・パーソンが、どのようにものごとを理解し、判断しているか」ということに強い関心を抱いていました。このメタ思考性は、ビジネス・パーソンが「サステナビリティ」を考慮せざるを得ないフレームワーク構築や、経営判断の選択肢の中にサステナビリティを加えることを促す理論の構築に大きく役立ちました。

また、哲学を学んだことで、多くの経営者の人たちと、仕事を超えたつながりを築くことができたことも、宝物です。一流の経営者の方々は、人間とは何か、ということを深く考えずにはおれません。「儲けるにはどうしたらいいか」というビジネス・パーソンの最も表層的な問いは、「儲かるとはどういうことか」「人は何に価値を感じるのか」「価値とは何か」「人とは何か」と進化していかざるを得ないからです。最近、マルクス・ガブリエルの「倫理資本主義」が人々の共感を集めたり、NTTが「京都哲学研究所」を立ち上げたりしていますが、こうした背景には、経営にとって哲学が非常に重要なものであるという事実が横たわっているのだと思います。

なぜ、サステナブル・"ビジネス" なのか

かくして、哲学的問いに自分なりのこたえも得られたところで、国際開発の道に戻る準備が整ったわけですが、当時は、道路や発電所を作ったり、医療制度や教育制度を作ったり、インフラや仕組み、政策の整備などが、国際開発の主流アプローチでした。何かルールや枠組みを作って、そこに人々が自然と従うように促していくというやり方です。

これはこれで大切なことなのですが、他方で、私はこうしたアプローチに強い違和感を感じていました。自分自身が何かを強制されることが大嫌い、という性質であることに加え、途上国で様々な支援の現状を見るにつけ、「人間は正論では動かない、本当に何かを浸透させていきたいと思えば、それは自由な個人々々の欲望に基づく選択の中に入り込み、選び取られて行く必要がある」という考えを強く持つようになったのです。病気になっても、病院にいく暇があるなら、無理しても仕事をしてお金を稼ぎたい、という貧しい人たちの思考を考慮すると、病院を作ることだけでは彼らの問題を解決することはできないのです。

それに対し、近代以降の資本主義に基づくビジネスは、人間の欲望に上手に入り込み、より多くの人に選び取られることで、ものすごいスピードとスケールで、この世界を席巻してきました。この資本主義の仕組みを利用していく「サステナブル・ビジネス」ことこそが、よい成長(Good Growth)をもたらし、よりよい社会をスピードとスケールを持って広げることになると考えるにいたりました。

例えば、手を洗うことが、さまざまな感染症から身を守ることになる、といわれても、多くの人は手を洗うようにはなりません。「啓蒙」や「論理」が人を動かす力はわずかなのです。しかし、石鹸の中におもちゃを隠し、石鹸を使い終わったらおもちゃが出てくるような仕掛けをすると、人々は、一生懸命、手を洗うようになります。これはユニリーバが実際に行った取り組みですが、「おもちゃが欲しい」という欲望を利用して、人々の衛生状態を改善するとともに、石鹸市場を一気に拡大させる、素晴らしい仕掛けでした。

こうした背景から、王道の「ルールや枠組み、インフラを作る」国際開発ではなく、当時「民間セクター開発」と呼ばれる分野、今でいう「サステナブル・ビジネス」に携わるようになったのです。

この点に関しては、「欲望をハックする」という記事で、より詳細に述べていますので、是非、ご一読ください。

「サステナブル・ビジネスで儲ける」が次の波に

その後、東南アジアやアフリカで、現地のビジネスマンや、当時から既にアフリカでサステナブル・ビジネスを推進していた欧州の大企業と、様々なサステナブル・ビジネスの実装をご一緒する機会に恵まれました。その中で確信したのは、「サステナブル・ビジネスで儲けることができる」ということ。

アフリカのビジネスマンたちの多くは、自らの儲けと同時に、国の発展、同胞の生活の改善に貢献することを大事に思っていて、実際にそうしたビジネスを様々に展開していました。自ら貧困から抜け出し、大手製粉業を営むようになった社長が、栄養価の高い子供用のお菓子や、栄養失調の子供たちのための緊急支援食品に事業展開を図ろうとする姿や、アメリカの大手通信会社の社長まで務めたうえでアフリカに戻り、現地雇用促進のために付加価値の高い花卉栽培・輸出ビジネスを始め、拡大していく過程を目の当たりにしてきました。

その一方で、欧州企業の一部は、サステナブル・ビジネスの推進に投資を始めていました。輸入に頼っていた緊急食糧援助の品を現地生産に変えていくことに投資する大手食品メーカーや、現地の個人起業家を支援し、自社の製品販売網をアフリカの隅々にまで拡大する大手飲料メーカー。国連の緊急援助の品の配布を紙バウチャーから電子化する支援を行う電子決済企業。彼らの投資額や、現地に張り付く人の数、そしてやり続ける年数等は、日本にいる私たちがイメージするCSR活動とはスケールの違うものでした。

こうした様子を見て、私は、「欧州企業が、これだけの人と金を張るからには、これは慈善事業ではなく、何らかのビジネス上の目論見があるはずだ」と確信しました。この時の体験があったからこそ、日本に戻ってきた後、誰もサステナブル・ビジネスに振り向いてくれない時代もなお、「これは絶対に儲けられる可能性があるし、次のビジネス・トレンドになる」と確信をもって歩み続けることができたのです。

誤解しないでいただきたいのですが、「サステナブル・ビジネスは儲かる」ではなく、「サステナブル・ビジネスで儲けることができる」、つまり「サステナブル・ビジネスには儲かるものもあるが、儲からないものもある」ということを実体験したということです。

投資家になりたい

そうこうするうちに、本当に「サステナブル・ビジネス」「Good Growth」をスケールとスピードを持って広げていくために、投資家になりたい、と思うようになりました。その背景には、アフリカと日本における二つの経験がきっかけとなりました。

一つ目は、アフリカにおいて、金融システムが整備されていないために潰れていくビジネスをたくさん見たからです。

金融システムのない地域でビジネスを行う、というのはどういうことか。例えば、代々、製粉ビジネスを行ってきたファミリー企業が、「人口増加や経済発展を見据えて、ビスケット製造を展開しよう、そして、子供に栄養価の高いビスケットを製造しよう」と考えたとします。調達網も確保されており、市場も拡大、ブランドもすでに確立されているビジネス・プランですので、現地通貨ベースでは、ほとんどリスクのない計画です。しかも、栄養価の高い食品を子供に提供し、同時に、サプライチェーンの農家にとって更なる市場を提供することになるわけですから、これはGood Growthといえるでしょう。

しかし、金融システムが整っていないと、このビジネス・パーソンは、必要な資金(5億ー10億円くらいでしょうか)を、現金で貯め、その現金を握りしめてドバイや中国に飛び、ビスケット製造に必要な設備や、工場の空調など、一つ一つ自分で選び、それを輸送し、組み立てる必要があります。その結果、きちんと稼働すればよいですが、稼働しなければ、保険がありませんから、資金は全てパーになってしまいます。金融システムがない、というのは、こういうことなのだと実感しました。

他方、日本に帰ってくると、有り余る流動資金が、成長領域を見いだせず渦巻いている様子を目にしました。世界には、資金が足りずにつぶれていくGood Growhビジネスがあるのに、日本では、その資金が、携帯ゲームなど、私から見るとどうでもよいこと(携帯ゲームが好きな方には、すみません!)に流れていくのです。このコントラストを目の当たりにし、「この流動資金を、世界のGood Growthに結び付けなくてはならない、それが世界、そして、日本をよりよく成長させることになる」、そして自身も、そういう役割を果たせるようになりたい、と思うに至りました。

しかし、2011年、家庭の事情で日本に帰国することになりましたが、ファイナンスのバックグラウンドがない私に、投資家のオプションはなく、結果コンサルタントとしてのキャリアを進むことになりました。

投資家として、資本主義の中から変革を起こす

2011年、日本に帰ってから13年、外資系コンサル会社のサステナビリティ部門でコンサルタントとしてのキャリアを積むこととなりました。

コンサルティングは知的産業で、非常に学ぶことも多く、忙しいながらも大変やりがいのある仕事です。また上司やチームメンバーにも恵まれ、最終的には、日本のサステナビリティ統括パートナーとして、日本企業の経営者の皆さんとサステナビリティ・トランスフォーメーション(SX)の推進を進める機会を数多く得ることができ、また、そうした経験を生かして『SXの時代』、『2030年のSX戦略』、『必然としてのサーキュラービジネス』という3冊の本も出版し、好評を博すことができました。こうした活動を通じて、日本のサステナビリティ・ビジネスの推進に、一定の貢献ができたと自負しています。

他方で、「投資を通じて、もっと大きく、もっとスピーディにインパクトを与えたい」という思いは消えることはありませんでした。実際、コンサルファームで何とか投資ビークルを作れないか、画策し続けた13年でもありました。ファームがプリンシパル投資を行うファンドを作れないか、もしくはGood GrowthファンドとなりそうなクライアントのCVCに何とかアドバイザーとして関与できないか、検討をしたのですが、残念ながら、さまざまな制約から、私が所属したファームでこうした活動を行うことはできなかったのです。

そんな折、13年目にして、ジャパン・アクティベーション・キャピタルが立ち上がり、チーフ・サステナビリティ・オフィサーとしてジョインしないかというお誘いをいただきました。日本企業の成長投資を後押しし、日本の産業の元気を取り戻す、そのために、サステナビリティが重要な要素になるという、そのビジョンに強く共感し、コンサルファームでの責任あるポジションを捨て、長年の夢である投資家として、新しいチャレンジに身を投じる決心をしたのです。

山口周さんの「革命はシステムの中からしか起こらない」という言葉があります。近年の資本主義のほころびは明らかですが、資本主義を外から批判しても、資本主義は変わりません。資本主義の最も根底に存在する「投資家」として、よりよい成長、Good Growthに資本が回る仕組みを作る必要があります。

そのために必要なことは、上述した「相手の言語を理解すること」。投資ファンドに勤めるようになって強く感じるのは、「サステナビリティ・コミュニティ」と「事業会社」との間に横たわる溝と同じくらいに深い溝が、「事業会社」と「投資家」の間にも横たわっているということ。これからは、哲学で培った「異なるロジックを、さらに高次の論理体系で取り込む」という力を活かし、「サステナビリティ」と「事業」と「投資」との間の溝を橋渡ししていきたい、具体的には、環境や社会に良く、かつ、短中長期的なP/L改善につながる領域にリソースを集中させ、IRすることで、実際にP/Lが改善する手前でも資本市場の期待が高まりマルチプルの向上につながる、そして益々、その企業に資金が集まる、そんな資本の好循環を生み出していきたいと考えています。

儲からないサステナビリティ・ビジネスはサステナブルではありません。「儲かるサステナビリティ」こそが、スピードとスケールをもって、世界を変えていける、そう信じて、これからも活動を続けていきたいと思います。

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