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牛肉価格の高騰から見えてくる、気候変動の経済への影響

ジャパン・アクティベーション・キャピタルでチーフ・サステナビリティ・オフィサーをしている磯貝友紀です。今回は、気候変動が私たちの生活や経済に及ぼす影響の一例として、牛肉価格の高騰について書いてみました。

最近、スーパーで、安い輸入牛肉の陳列が減り、国産牛のキャンペーンが増えていると感じませんか? その背景として、輸入牛肉の価格高騰によって、国産牛の割安感が増しているというニュースを耳にした人も多いのではないでしょうか。実際、2019年からの5年間の牛肉の卸価格を見てみると、100グラムあたりの国産牛肉の値段は1200円前後で安定しているのに対し、アメリカからの輸入牛肉の値段は840円から1230円に増加、国産牛と輸入牛の価格が逆転しているのがわかります。

輸入牛肉と国産牛肉の卸価格
出典:独立行政法人農畜産業振興機構のデータを元に著者作成

輸入牛肉は安さが魅力の場合が多いですから、値段差がほとんどないのであれば、質の高い国産牛の方が売れる、売れない輸入牛は小売店舗から姿を消したというわけです。

では、なぜ輸入牛肉の値段はこんなに上がっているのでしょうか?その理由は大きく2つあります。

一つは、需要側の問題、すなわち、牛肉需要の増加と国際市場における日本の調達力の弱体化、もう一つは供給側の問題、すなわち、気候変動による牛の個体数の減少、です。

国際市場における日本の調達力の弱体化は、世界の人口動態の変化が大きな要因です。1940年に23億人だった世界人口は現在80億人、3.5倍弱、増加したのに対し、日本の人口は7300万人から1億2千万人、1.6倍しか増加していません。同時期に中国の人口は5億4千万人から14億1千万人に2.6倍に増加しています。

世界人口が増加し、かつ、これらの国々の経済が発展する中、食糧需要は人口増加率を上回る形で増加しています。しかし、日本の世界の人口に占める割合は3%から1.5%に減少、増加する世界の食糧需要の中で食料調達力が弱まり、中国などに比べて買い負けしてしまう状況が生まれています。下のグラフを見ていただいても、中国の購買量が圧倒的に増加しつつあることがわかります。牛肉に限らず、食料調達における太客になった中国に対し、日本は調達力が相対的に弱まってきてしまっています。

牛肉輸入量の推移 
出典:FAOSTATのデータを元に著者作成

もう一つの理由は供給側の問題、気候変動による牛の個体数の減少です。アメリカは世界有数の牛肉輸出国ですが、2016年以降、米国内の牛の個体数が大幅に減少しています。

その理由の一つとして、気候変動の影響が指摘されています。下のグラフは米国の牛の数と干ばつの被害の大きさ(エーカー)を示しています。このグラフだけだと相関が見えにくいかもしれませんので、相関分析を行ってみると、相関関数は-0.65、干ばつの被害面積が増加すると牛の頭数が減少する傾向があることを示しています。干ばつにより、草地の減少や飼料作物の不作が生じ、結果として、牛が死んだり、コスト増に耐えられなくなった畜産農家が事業を手放したりすることで、牛の個体数が減少し、牛肉の生産にも影響を及ぼしているのです。

米国の干ばつ被害面積と牛の数
出典:米国農務省およびNational Integrated Drought Information Systemのデータを元に著者作成

また、米国はしばしば干ばつに襲われていますが、気候変動の影響で、アメリカ西部や中西部などの地域で干ばつの頻度や期間が増加されていると、アメリカ海洋大気庁(NOAA)などが報告しています。干ばつによる牛の個体数の減少傾向は、単発的なものではなく、今後も継続、悪化していくことが予想されます。

この牛肉価格問題は、世界人口増加、途上国の経済力の発展に伴い食料需要は増加する一方で、気候変動によって供給は減少し、結果、食料価格が上がる、加えて日本は人口減少により国際市場における食料争奪戦の中で買い負けする、という典型的な事例です。しかし、こうした問題は、突然生じたのではなく、ずっと以前から予測されていたのです。

産業化に伴うCO2排出量の増加が気候変動を及ぼす可能性については1890年代に、スウェーデンの化学者スヴァンテ・アレニウス(Svante Arrhenius)が指摘していました。また、気候変動によって家畜が死亡し、食料価格が上がる可能性も、国際エネルギー機関(IEA)などの分析で以前から指摘されていました。

しかし、長らくの間、気候変動の問題は、私たちにとって、どこか遠い、現実味のない、自分たちには関係のない話という印象が拭えなかったのではないでしょうか。しかし、ここに来て、死を感じるほどの猛暑や今まで経験したことのないようなゲリラ豪雨など、気象パターンの変化が明らかに感じられるようになり、そして、その影響が牛肉の値段という身近な問題に顕れてくるようになりました。最近、卵の値段が上がったのも、猛暑の影響が大きかったですね。いよいよもって、気候変動の問題が、私たちの暮らしの足下を揺るがし始めたのです。

もちろん、この問題は、私たち消費者の生活だけでなく、農業、畜産、食品加工、小売り、外食など様々な産業にも大きな影響を与えています。気候変動問題は、もはや、どこか遠くで意識高い系の人たちが、美しい地球を守るために行う崇高な運動ではなく、私たちの明日の暮らしやビジネスを左右する大問題になりつつあるのです。

私は、拙書『SXの時代』『2030年のSX戦略』の中で、こうした問題を、「親亀・子亀構造」で説明しています。環境、社会、経済というのは、下の図のように、親亀である環境の上に、子亀である社会が乗っていて、子亀である社会の上に、孫亀である経済が乗っている、そんな関係性にあります。つまり、私たちの経済は、環境や社会に依存しており、「親亀こけたら皆こける」、そんな関係性にあるのだということです。

環境、社会、経済の関係性
出典:PwC Japanグループ、坂野俊哉・磯貝友紀著、2021年、『SXの時代』日経BP

気候変動によって、親亀がこけそうになっている今、いよいよ牛肉価格の高騰という形で、孫亀への影響が出始めています。しかし気候変動の問題は、本当はずっと前から、警鐘が鳴らされ続けてきた問題です。私たちは、長らく、その警告に耳を傾けずに、放置してきたあげく、孫亀に影響が出始めた今、あたふたと対応し始めているのです。

「サステナビリティ経営」という言葉が盛んに聞かれるようになったのは、いよいよ親亀がこけそうになっていて、私たちの経済が危うい、という認識が広まってきたためです。

気候変動対策が遅れをとったことは事実ですが、私たちは、同じ失敗を繰り返してはいけません。親亀の問題は気候変動だけでなく、資源・廃棄物や水・生態系など自然資源の問題があります。個人的には、私たちの食に大きな影響をもたらす窒素(N)循環の問題に強い危機感を感じています。この問題は、次回以降、詳しく取り上げたいと思いますが、気候変動の次に待ち構えている親亀・子亀の危機をいち早く察知し、対応していくことが、私たちの生活を守るためにも、ビジネスを守るためにも必要となるのです。


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