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人生のラストシーンへ旅の支度をはじめよう!

たしか「老い支度」・・・という言葉があったと思う
最近は「終活」という言葉に変わったのかな
あまり聞かれなくなった。

あと3年で還暦か
と思ったこの春は
ずっとそれのことを考えている。

認知症や病気、経済的な貧困
遠い未来のことと思っていたことが
グーンと、向こうから寄ってきちゃった感じ。

YouTubeで、リアルな年金暮らしの内情や
残された実家でスローライフを送る女性を観ると
なんだか胸がキュウっとなって
さっさと大好きなお笑いコンビの動画に変えたりしていたのに
最近よく、認知症の親を自宅で看るとか
90歳近いご夫婦の老老介護のドキュメンタリーなどを
食い入るように見てしまう。
自分がどの立場でも、大丈夫とは思えない現実がそこにあるからだ。

先のことはくよくよ考えない
と、常日頃、元ヤン社長に言われているけれど
私としては、「悩む」ではなく、「計画・準備」という感覚だ。
準備をしてしまってからのんびりしたいのだ。

1年に1キロずつ増加する体重をなんとかしなければと
東洋医学外来で漢方薬を処方してもらっているのだが
先日、先生とこんな話をしてきた。

「60歳になったら遺書を書くことのススメ」

要は、その時が来たら延命治療を望むのか、望まないのか
ということを明確にして家族に残しなさいってこと。

野生動物は、エサを自分でとれなくなったら自然に命が終わるようになっているんだよ。人間も、その時がきたら自然に命を終えるのが幸せではないのか、と僕は思う。

と先生はおっしゃって、そういった意味での「意思表示」を薦めているのだそうだ。
先生は現場で「果たしてこの患者さんは幸せなんだろうか」
と思うことがたくさんあると話してくれた。
自分が意思表示をしていないと、家族が選択をしなければならないのだが
「延命治療はしません」という家族は当然まれで、ほとんどは機械や薬で、ただ命を伸ばすためだけの処置をする。
医者なので、やりますけどね・・・と、先生は私のカルテの画面をみながら
「yuraraさんも、アラ還だから。ね。」
とつぶやいた。

うーんどうなんだろう。
60歳と言ってもいろいろだよね。
お孫さんに囲まれて毎日忙しく暮らしている人。
定年後も次なるポストが与えられて、まだ引退する予定のない人。
恋愛中の人もいるでしょうね。
また、パートナーが病気とか、それこそ親の介護中とか
自分のことなんて深く考えられない状況のひともいるよね。

私は、今のところ一人で老いていく予定
息子たちが家庭を持つ兆しもないし
正直なところ、長く生きることに不思議と執着はなくなってきた。

いろんなことがあったけれど、十分に幸せな時間を過ごしてきた。
いつその時が来てもおかしくはない年齢になったし
このコロナの時代になって、余計にそう思えて仕方がなくなった。
だから先生のおすすめどおり、60歳になったら意思表示をしておこうと思う。

けして暗い話ではない。
私は老いていくための計画と、準備をし始めたってこと。
旅の支度をするのと同じだから、楽しみながらやっていきたいと思っている。






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