もしSNSがなかったら、の世界
今朝、部屋に飾っているポピーの花が開いていました。
キウイみたいなつぼみがパカッと割れて
あちこち向いて咲いている様がとってもおしゃれ。
足元にちょこちょこ動いているうちの犬も
とーっても可愛いじゃん
写真、写真、携帯はどこだ?
と。
私はこのポピーと犬の写真をさっそく世の中にさらけだして
「可愛いでしょ。おしゃれでしょ。」
と、やろうとしているわけですが
いまさらですが
その心理っていったいなんなんでしょうね。
承認欲求という言葉は知っていますが
ほとんどのSNSを躊躇なく生活に取り入れてる私は、承認欲求強めってことになるのかしら。
最近よく話題になる「マウントしてくる人」のこと。
いやよねー。
と、さも他人事で話しているけれど
インスタグラムにのせてる自分の写真やキャプションは
それっぽいです。はい。
もし今、世の中にSNSがなかったら、私はどんな暮らしをしているだろう。
今朝撮った写真はあえて誰にも見せないかもな。
可愛いアルバムを買って
犬や花を撮った写真を集めて、本棚に置くだろうな。
そして、たまにそれを開いてにやにや眺める。
見せてといってもらえたら
家族や、大事な友人にパラパラっと見せたりする。
朝日に当たって輝く窓の結露も
ちょうどよい温度の白湯をゆっくり飲む朝も
100%自分のなかで堪能して記憶に残す。
旅行のお土産話は、今度会ったときに話そう。
美味しかったお店のことは、その時教えてもらおう。
それで足りてたはずなのに。
よい写真が撮れたから、ではなく
自分の存在を誰かに確認してほしくて
そのために写真を撮るような
そんな私になっております。
つねに誰かに「私はここよ」とアピールしないと不安
公園のジャングルジムのてっぺんで
「おかーさんみて!みて!」
と叫んでる子供みたい。
と、ここまで書いておいて
別にSNSを否定しているわけではありません。
それが暮らしのスパイスとなったり
知り合えない人とつながったり
記録を残していけるなら
時代の波に乗ってゆくのはとても楽しいことですよね。
でもたまにふと
そういうのがない
自分のまわりだけの狭い世界でゆっくり暮らしたいな
と思ったりする日もあったりします。
誰かにみていてもらわなくても
自己満足で充分幸せな自分になりたいなと思ったりします。
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