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日本は自由な国!?自由ってなんだろう。

自由について考えた大学生

 突然だが、自由とは何だろうか。子どもの頃は親の保護下にいたために、よく「自由になりたい」と言っていた。しかし、この「自由になりたい」の意味は親の束縛から離れたい、干渉されずに暮らしたい、といった意味だった。今、私が「自由になりたい」と言うのはおそらく、試験やレポートなどの締め切りが迫っているときや、やるべきことが終わらないときだろう。しかし、それが解決すれば、本当に私は自由になれるのだろうか。そもそも、自由とは何だろうか。私が自由について考え始めたのは、大学に入ってからだ。

中国は本当に不自由な国?

 私は大学で中国語を専攻している。その授業の中で、中国で民主化運動を行う人たちについて扱った。中国は基本的には共産主義だが、一方で資本主義的な部分もある。しかし、国民(中国では人民と呼ぶ)には自由がない、というのが民主化運動を進める人たちの主張だ。実際、中国本土ではグーグル、フェイスブック、ラインなどのSNSは使うことができず、厳しい情報統制をされている。このことを知っている人も多いのではないだろうか。また、全人民の情報はビックデータとして中央政府に管理されている。中国で主流の支払い方法、QR決済や防犯カメラ、個人番号などすべての情報を政府はもっている。この統制を、彼らは「自由でない」と主張しているのだ。
 私は、このような人々の活動を通じて「自由とは何か」について深く考えるようになった。私は自分が自由であると思っている。まだ学生なので多少親からの干渉はあるものの、比較的いろいろなことをさせてくれる。やりたいと思ったことは常識の範囲内でできる。このような理由から、私は自分が自由だと感じている。しかし一方で、精神的にはとても窮屈であると思う。私の中は「○○しなければならない」という考えで常にいっぱいでユーモアのある発想や一般に言われている自由な考えがないからだ。私自身は、精神的自由と物理的自由に分けて考えたが、先に述べたような活動家の人たちは、思想の自由を主張しているのではないかと私は思う。日本では信教の自由が憲法で保障だれている。そう考えると、日本は自由な国なのかもしれない。しかし、本当にそうだろうか。

暗黙の了解って難しい


 日本においては「○○しなければならない」という暗黙の了解が多い気がしてならない。例えば、あった人には丁寧に挨拶をしなければならない。特に、上司と部下、先輩と後輩の関係では、そのような決められていないルールが多いのではないかと思う。このような「しなければならない」を取っ払って行動できたら、どんなに楽だろうか。あるいは、より窮屈になってしまうのだろうか。私はよく、そんなことを考えている。
 自由について考えることは、コロナ禍で様々な制限がかかる今だからこそ考える価値がある問いではないかと私は考える。日本は本当に自由な国なのか。自由とはいったい何だろうか。これらの問いに答えはないのかもしれない。しかし、それについて考えることはとても有意義な時間になるだろう。

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