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誰かの正解はいらない。これからの時代の、私らしい働き方・暮らし方

コロナ禍を経て、多様な働き方・暮らし方があることが見えてきた今。自由に選べることに不安を感じることはありませんか?数多くの選択肢の中で、私らしい道ってどっちだろう?どうすれば見えてくるのだろう?そもそも私らしいとはどういうこと?と、自問自答している人も少なくないかも知れません。
そこで今回は、自分らしく生き生きと働いているライターの江角悠子さんに、お話を聞いてみました。その「私らしい働き方や暮らし方」はどうやって見つけたのですか!?

完璧主義を手放す

ライターの江角悠子さんは、事務職員や出版社・広告代理店でのデザイナーなど会社員の経験を経て、2006年からフリーランスのライターとして働く。その一方で、大学や、自身が主催するライター塾では講師としても活躍している。妻として母としての一面もあれば、アイドルグループBTSのアーミー(BTSのファンのこと)としての時間も楽しんでいる。江角さんは、様々な顔を持ち、そのバランスを楽しんでいるように見える。
そんな江角さんがフリーライターとして活動し始めた当初は、「完璧主義者」だったという。2008年に出産し子育てが始まると、時間の制約が生じ仕事に影響が出てきた。無理をして仕事をこなす中で肺炎を患った。しかも5回。毎年のように肺炎にかかり、お子さんをおんぶしながら点滴を打ったことや、入院の経験も。病気によって仕事で迷惑をかけてしまったこともあった。
そんな経験から、「1人での完璧は目指さないことにしました」と江角さん。仕事が終わらない日は夫に家事の協力を仰ぎ、仕事でもクライアントに締め切りを相談するなど人に頼ることを覚えた。失敗したことが、仕事の仕方を見直すチャンスになったのだ。


枠にはまっている方が動きやすい

流動的なフリーライターの仕事と子育てを両立するために、「時間で区切る」という仕事のスタイルに変えていった。枠にはまっている方が動きやすいということに気づいたからだ。
江角さんはクライアントに対して、働ける時間の宣言をしている。子育て中で朝晩は仕事ができないし土日は家族と過ごしたい。仕事は平日昼間のみと決め、その旨を仕事の問い合わせフォームやメールの署名欄に明記した。
子どもができたことで働ける時間が減り、制限されるような気がして嫌だと感じていた時もあった。だが、寝かしつけをすることで自分も一緒に早めに寝る習慣がつき、食事もきちんと食べるなど、規則正しい生活に変化。結果的に仕事の効率は上がったという。

少しずつの積み重ねが、私を変えてきた

大きなターニングポイントがあったのではない。気づいては手放し、やり方を変える中で少しずつマインドチェンジが起こっていった。その助けになったツールのひとつが、「自己分析ノート」。元々書くことで、頭の中のことを整理していたという江角さん。ブログも15年以上続けていて、書くことで自分を保ってきた面もあるという。2017年に、自分の好きを集めた雑誌のようなノートのつくり方を綴った『マイノートのつくり方』(Emi著/大和書房)という本出会ってから、頭で考えるのではなく、「本当は私、どうしたいの?」と心に聞くようになっていった。
外面のことも整えてきた。コロナ禍でzoomでのやり取りが増え、画面に映る自分の顔を見ざるを得なかったことで気をつけるようになったという。メイクを習いに行ってみたり、美容液を買ってみたり。洋服も「一軍」の服以外は持たないことにした。
気づいては変えていくことをし続けて、この2、3年でようやくいい塩梅になってきた。

座右の銘は「Love Myself」

Love Myself、自分を愛するということ。「私が満たされていないと、例えば、私がこんなに苦労しているのだからあなたも苦労しなさいよとなってしまう。でも私がちゃんと自分を愛して、満たしてあげていれば、誰かが何かをできない時も大丈夫だよとなれる」。そう穏やかに話してくれた江角さんには意外な一面も。「私は自分がないように思っていて、ブレまくりです。すぐに人からの影響を受けてしまうんです。ブレない人が格好いいと憧れることもあるけれど、ブレても戻ってくるしなやかさがある方がいいかなと思うようになりました。芯があっても、折れるよりはいいかなって」。
江角さんの真ん中には、日々の仕事や生活の中での気づきがある。気づいて手放して変えていくことの積み重ねで見つけてきた、しなやかなルール。変化しながらも常に「私」で満たされている。そんな変化を楽しもうとする姿勢こそが、「私らしさ」を見つけるヒントとなりそうだ。


江角悠子さん プロフィール
1976年10月30日生まれ。寺社仏閣、日本史、古いもの好きだったことから京都に憧れ、京都の大学へ進学。現在も京都在住。事務職員、大阪の出版社、京都の広告代理店でのデザイナー兼コピーライターを経て、2006年からフリーライターとして活動スタート。 さまざまなウェブメディアや『anan』『婦人画報』などの人気雑誌で執筆。また、同志社女子大学で非常勤講師として編集技術を教える他、2020年からはライターを目指す人を応援するべく「書くを仕事に!京都ライター塾」をスタート。2020年1月にライティングを担当した本「亡くなった人と話しませんか」が発売。増刷を繰り返し、現在は9万部。


取材・文/オオウチユウ

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