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つらいこと悲しいことが起きたとき立ち直るための方法

つらいとか、悲しいとか、感情がネガティブになってしまったとき、あなたはどんな方法で立ち直りますか?

私はいろいろな方法を試してきたが、そのときは立ち直ったように見えて、いつまでも引きずってしまうことも多い。そして、そのたびに「自分てダメな人間だな」と自分を否定してしまう。

これまで2回「自己肯定感を高める」ことについて書いてきた。今回の悲しいときからの立ち直り方も、自己肯定感に繋がると思うので、第3弾として書いていく。


■自己肯定感を高める方法

自己肯定感を高めるためには、ありのままの自分を好きになる、大切にするといったことが、よく挙げられる。そうは言っても、自分を大切にする方法も、ありのままの自分もよく分からない、という方は多いのではないだろうか。

ありのままの自分が分かれば、自分を大切にすることもできると私は思う。なぜなら、ありのままの自分を好きになって、その自分がしたいと思うことをしてあげて、喜ばせることが「大切にする」ということだと思うからだ。

だから、まずは「ありのままの自分」を知ることが大事だ。

それには、つらいこと・悲しいことがあったときはチャンスだと思った。というのも、つい最近、私は悲しい思いをして、そこから立ち直り、その際に自分に向き合ったからだ。

■つらいときの対処法あれこれ

立ち直るための方法として、今回試したのは「自分の感情にとことん向き合うこと」だ。

知り合いに「悲しい時はとことん落ち込んで、無理に立ち直ろうとしない」と言っていた人がいた。そのために悲しい映画を観たり、音楽を聴いたりして、とことん悲しい気持ちになるのだそうだ。そして、泣いて泣いて、スッキリするらしい。

それで解決する人はそれでいいと思う。

だが、私は、別の悲しいことを積み重ねても、根本の悲しみを癒すことにも解決することにも繋がらず、目が腫れるほど泣いたあとも、いつまでも落ち込んでいた。

「とにかく別のことを考えて無理やり忘れる」という人もいる。私にとっては、それは無理だった。何も解決しないまま、ただ忘れるということが私にはできないのだ。
忘れようとすればするほど、逆にそのことを考えてしまい、その原因を作った相手を、いつまでも恨んでしまったりして、全然立ち直れなかった。むしろ、悪化したくらいだ。

時が経ち、本当に忘れたと思っていても、無理に忘れようとしたことは、不意に嫌な思い出としてよみがえることが多い。これで本当にうまく立ち直れる人がいるのだろうか?と疑問に思うほど「無理やり忘れる」という方法は心に良くない気がしている。

そこで、今回はあるところで聞いた「自分の感情にとことん向き合う」という方法を試してみた。

■自分の感情に向き合うとは

では、自分の感情にとことん向き合うとは、どういうことか。
なぜ悲しいと思ったのか?どんな言動に対してそう思ったのか?などなど。とにかく、自分の心をひたすら深堀りしていくのだ。

そうすると「あ、自分はこういうことに腹が立つのか」とか「こういう言葉が嫌いなんだ」とかが分かってくる。
更に、なぜ腹が立ったのか?嫌いなのか?も深掘りする。相手のどんな言動が嫌だったのかが分かってくると、だいぶ自分が見えてくる。

そこまで掘り下げるのが、感情に向き合うということなのだ。

■実際に深掘ってみた

ここで少し私の話をする。私が悲しい気持ちになったのは、友人との関係だ。

詳細は省いて大まかに説明する。

ある集いに、友人を誘ってみたときの話だ。人数の確認があるため、YesでもNoでも返事が欲しい旨はメールに書いておいたのに、返事がなかなか来なかった。そこで共通の友人に聞いてみたところ、その件で相談を受けた、とのこと。

そのときに、共通の友人とふたりで、私を不審に思っていることを悟った。

友人には縁もゆかりもないところへの、いきなりの誘いだったので、怪しいと思われてしまうことは想定していた。けれど、返事さえ来ないとは思っていなかったので、はじめはイラっとした。

そこで、なぜイラっとしたのか、深掘りしてみた。

嫌なら「行きたくない」とか、せめて「相談してから決める」「考える」とか、どんな内容でも返事はくれると思っていた。遠慮なく断ることができる程度には、気の置けない友人だと思っていた。

何なら「そんな怪しいところ大丈夫?」と、こちらを気づかってくれそうなほどの付き合いだと、私は思っていた。(実際は怪しくも何ともないが)

私は、友人であろうと嫌いな人であろうと、知り合いであれば、メールには返信をする。それは礼儀だと思っていた。

はじめイラっとしたけど、じっくり感情に向き合うと、イラっとするというより「悲しい」という感情だと気づいた。
無視されたことが悲しかったのだ。しかも、けっこう長い間、友人だと思っていた相手だったから、なおさらだ。
そのうえ、共通の友人と相談して無視を決めたということは、ふたりとも同じ考えということだ。

つまり、こちらが友人と思っていたふたりに無視されたことが分かり、傷つき悲しいと思っていたのだ。

ただ思い返せば、少し前から私が避けられているような気はしていた。

それなのに、私はおこがましくも、相手に良かれと自分勝手に思い込み、自分のコミュニティに誘ったのだ。相手にとって、そんな誘いは嬉しくないだけでなく、無視したいくらい、とても嫌なことだったのだろう。

それでも、こちらが最低限の礼儀だと思っている「返事」をしないまま無視したということは、つまり私とは価値観が合わないということだろう。
そして、分かるか分からない程度に避けるのではなく、はっきりと決別しないところも、私とは合わないと思った。

そういう人を、気の置けない友人だと思い、付き合ってきたのは、私に人を見る目が無かったということ。

つまり、価値観の合わない人たちを友人と思っていた自分の責任。相手のせいにして、傷ついたと悲しい思いをする必要はない。そんなことより、このまま付き合いをやめれば、心も健康を保てる、と私は思った。

幸いにも、いま所属しているコミュニティは価値観の合う人も多く、皆が前向きに生きている。軸足をこちらに移そうと決めた。

■まとめると

そんな感じで、今では気持ちはスッキリと晴れている。

むしろ、以前よりも前向きだ。

不思議なことに、そうスッキリしたとたん、新しい仕事に就くことになった。今までよりも楽しそうな仕事だ。

今回、私は自分の感情に向き合い、自分の価値観を再確認した。そして自分の望む方向を見極めたことが、良い方向に向かう結果になったのだと思う。

これこそが、ありのままの自分を大切にするということなんだろう。傷ついたと泣くよりも、心を健全に保つことができたのだから。

もう「私はダメだ」なんて思わない。

また少し、自己肯定感が高まった気がしている。

「自分の感情にとことん向き合う」という対処方法は、なかなかお勧めだと思う。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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