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最も大事な忘れ物

「本当の私」とは何か。

自分のことは自分が一番知っている、と思いがちですが、最も大事で最もわからないのが自分自身ではないでしょうか。

はるか宇宙の様子が分かっても、素粒子の世界が解明されても、三十億の遺伝子が解読されても、依然としてわからないのが私自身です。

いくつか例を上げてみます。

心なき者のしわざか、背中に矢が刺さった痛々しいカモの映像が、視聴者の哀れを誘ったことがある。料理店でその矢ガモのテレビを見ながら、「なんと酷い事を…」と顔をしかめて、カモ鍋を食べている人を見て、「自分のことは分からんものだなぁ」と反省させられた。

「昔のニワトリは、夜明けに必ず鳴いて、時を知らせたもんだが、今は、ニワトリまでナマクラになった」と、耳の遠くなったことに気づかない田舎の老夫婦の会話。

窃盗団が山中で宴会をしていた。もちろん、盗品でないものは何一つない。輝く金盃を回し飲みしているうちに金盃がなくなったので、親分株が立ち上がり、目を吊り上げて怒鳴った。「さては、この中に盗人がいるな!」
己が窃盗団のボスであるのを忘れていなければ、言えないことです。

こんな自己矛盾はいくらでもあり、それほど分からないのが、自分自身ということです。

キャッシュコーナーに、現金を置き忘れたとなれば大騒ぎしますが、最も大事な「自分とは何か」を忘れていても、ちっとも驚きません。

自分とは何か

自分や他人の目では、都合よく見られ、本当の自己を知ることはできません。

仏教のことを「法鏡」とも言います。
法鏡とは、そんな自分や他人の欲目を抜きにして、「本当の自分」を映し出す鏡です。

では、どうすればその法鏡で自己を知らされるのか?

仏教は聴聞に極まる

重ねて仏教を聞かせていただくことで明らかになります。

今後も、継続します。


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