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他人のせいにするのは、なぜ駄目なの❓

おはようございます。

ゆつきです。

タイトルの結論から言いますと、「自分が不幸になるだけだから」です。

私は子供の頃、兄とよくゲームをしていました。

母にはゲームばかりするなと、家の何処かにゲーム機を隠されるのですが、兄はだいたい見つけ出します。

母が車で買い物に出かけると、ゲーム機を引っ張り出し、窓から母が帰ってきていないか確認しながら、リビングで一緒にゲームをしていました。

ある日、玄関の鍵を回す音が聞こえました。

母が帰ってきたのです。

その時は、窓から母の車がきていたか、確認ができていませんでした。

母がリビングへ来るのを阻止せねば、と兄が急いでドアに向かいました。

しかし、兄はドアを開こうとした際、床にあったランドセルに足の小指を引っ掛け、骨折してしまったのです。

「くっそー!」と泣き崩れる兄を見て、不覚にも私は笑っていました。

このランドセルさえなければ!!

と兄は思ったでしょう。

ですが、ランドセルをそんな危険な場所に置いたのは誰か?

たとえそれが、兄自身が置いた訳でなくても、落ち着いて行動すれば、足の小指をランドセルに引っ掛けることはなかったはずです。

そもそも、ランドセルを自分の部屋に置いとけば、事故は起こりませんでした。

自分の行い(因)によって、ランドセル(縁)に小指を引っ掛け、骨折(結果)したのです。

縁を変えるには、自分の行動を変えなければ変えられません。

そう考えますと、兄のことを笑っていられない自分に気づきます。

余裕がある時は、自分も気をつけようと思えますが、苦しい時ほど、他人や物のせいにしがちです。

私がこんなに苦しいのは、あの人のせいだ、この人のせいだ、これのせいだ、と自分の外に原因を見つけ出そうとします。

それでは、問題はずっと解決しないのです。

そうではなく、問題があった場合は、他人や物に対してではなく、自分自身に原因があったと反省し、善い種まき(善い行い)をする事が大切です。

過去の種まきは変えられませんが、現在の種まきを変える事で、幸せな結果が自分に返ってきます。

また、善い行いをするときは、見返りを求めるのではなく、相手を思いやる心掛けが重要です。

口や体で善い行いをするのも大事ですが、仏教では、心の種まきが、最も重要であることを教えられています🍀





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