強迫性障害と過干渉でできなかった勉強
とにかく気持ちを発信したい。そんな思いで、また誰かに届いてくれることを願って。
これは僕が学生時代に最も悩んだことの1つです。
突然ですが、僕は勉強ができなかったです。学年では真ん中かそれより少し後ろ。模試は偏差値50くらいで、大学もその辺りです。高校の偏差値は68あるそうなんですか...
結果を見てどう思われたかは皆さんそれぞれだったかと思いますが、私ができないといっていることは、この結果のことを言っているのではありません。
いくらやってても、勉強してる実感が全くなかったのです。
これを経験している人は僕は誰も知りません。いらっしゃったら是非会いたいですし、ずっと打ち明けたかったことでもあります。
授業と家での自主学習についてお話ししたいと思います。
まずは学校の授業、小中高で一度も先生の話を理解した実感がありません。この事が皆さんにとっては、理解できないことではないでしょうか。
とにかく気が散って、別の物に目がいってしまったり、頭の中で妄想の世界に入り込んでいたり。時々興味のあること(知っている内容)を話されるとそこだけはウキウキしながら聞いている。
じゃあ集中してみればいいんじゃない?と疑問に思われるかもしれません。はい、できませんでした。聞き取ろうとすると、絶対に話を聞いていないといけない、そんな強迫を自分に科してしまい、体全身に力を入れて硬直し、緊張する。でもそんな状態想像していただけると分かると思いますが、しんどすぎるんです。苦しくなって数分で苦しみから解放されるように、妄想の世界に入っていったり、気が散っていったり。気持ちを安定させているんですね。
絶対に話を聞いていないといけない、この強迫行動は、やらなければまあ楽なのですが、そうはいきません。突然襲ってくる感覚がありました。新学期、学年になり新しく授業が始まったとき、絶対に聞き逃してはいけないと思って体が勝手に硬直し、地獄のような苦しさに見舞われてしまいます。
人の話を聞けることは天才だと思ってましたし、聞けないことが当たり前だと高校まで思っていました。皆さんは当たり前に聞けるのでしょうか?
そして、話は次の自主学習。自分でできるようになった、達成したなんて経験を一度も感じませんでした。
まず、文章が読んでも全く頭に入ってきませんでした。読めている実感がありません。だから読んで理解したという経験が、こちらもありません。自分にとってできそうなところだけをやり、あとは適当に誤魔化して答え写したり、赤ペンで出来なかったことを写したり。できないことの反復なんてやりませんでした。そして、これらはやるだけで胸が痛く、体が緊張して硬直し、怖かったです。それを解放されるように、妄想の世界に入り込んでいたり、周りの物を気が散ったりしていました。
要するに、授業や自主学習に取り組むことに、失敗、分かんないことがあってはならないという思いが強くなりすぎて、胸が苦しくなって体が緊張し、震えていた。それが辛すぎるから、妄想や気を散らして休んでいた。その繰り返しを無意識に繰り返していた。(このループに気づいたのが高校出たあとなので)
これが普通に勉強している状態でしょうか?そんなことはないはずです。ここで、自分と周りが違うという悩みにまた、苦しんでいました。
なぜ苦しんだのか。どうして妄想したり、気が散っていたのかについて、自分なりに考えたことがあっります。
苦しんでいることは、何かやることで絶対に失敗してはいけない、間違えてはいけない、この教えは、小さい頃から親に体と声で自分でやることに大声で怒鳴られ、止められて、叩かれて、出来ないことに対して恐怖を植え付けられていること。だから基本は自分からできないことはしないのですが、出来ないことに遭遇しそうになると、恐怖で体が硬直し、苦しんでしまう、自分に警告を送っているのではないかと思います。だからできることにしかトライしないのです。
妄想に関しては、
先程できないことを許さないと言いましたが、逆に、許されることは、できることをやること、勉強ができるすごい子であることでした。完璧ですね。
もし自分ができないんだって思う、またはそんな状況に遭遇すると、愛されない、見捨てられてしまう。それが怖くて、妄想の中で凄いんだと思い続け、現実から逃げ続けていました。
だから勉強は、できないことに遭遇して、愛されないと思うことが恐怖で、死んじゃうんじゃないかって思っていた。それを避けるために、自らを苦しめたり、妄想したりして守っていたのだと思う。授業も、教科書の中も、未知の世界で広がっていますから。
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