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サッカー王国と日本との関係@ブラジル🇧🇷
学び:日系移民がサンパウロ州に与えた影響。子供から大人までプレースタイルはブラジル流。
気づき:経済発展が著しいブラジルだが、同時に経済格差も垣間見た@サンパウロ州。自分がいかに長い間、閉された世界で生きてきたか。
今回は、ブラジルのサンパウロ州滞在期間で得た学びや気づきを書こうと思います。
目的は、サッカーを通じたコミュニケーション・ブラジルの文化と日本との関係を理解すること。
小さな活動が大きなものへ
まず、自分がブラジルの地に学びに行くにあたり、事前調査で経済的格差があることを知りました。そして、何かを吸収しに行く代わりに自分が人のために出来ることはないかと考えたときに、
サッカー道具の寄付活動
を思いつきました。
そして、当時サッカークラブのコーチをしていたため、チームの保護者の方々全体に向けて、ご家庭で使わなくなったサッカー 用具を捨てる代わりに自分に頂けませんか?とお願いをしました。
すると、
とても全ては持って行けないほどの道具が揃いました。とても皆さんが協力的で感謝の気持ちでいっぱいでした。
そして、知り合いの繋がりで、サンパウロにある孤児院を訪問しました。
この施設やどんな子供たちがいるのかについて教えて頂きました。施設にある遊び道具(ボールなど)は、使い古されていたのが印象的でした。
男の子たちが遊び場に呼ばれました。そして、1人1枚練習着を配り、サッカーボールを寄付しました。
ポルトガル語は少しも理解できませんが、知り合いに英語に通訳してもらいながら子供たちと一緒に遊びました。
短い時間でしたが、とても貴重な時間を過ごすことができました。
みんなプロサッカー選手になりたいって口を揃えて言いながら、無垢にサッカーを楽しんでいる様子を見て、自分の子供の頃とそっくり!って感じました。笑
そんな中、こんなことを言う子がいました。
もし、大人になってプロサッカー選手で有名になったらお父さんとお母さんに会えるかも!
衝撃的でしたね。。
その子は純粋な想いで伝えてくれたんだと思います。
自分の幼少の頃よりたくましく、想いの強さが違うなって感じました。サッカーをしている子供たちの目はキラキラして、彼らの内に秘めた無限の可能性をサッカーを通じて知ることができました。
この活動を通じて、自分の方が多くことを子供たちから学べた気がします。小さな活動でしたが、子供たちにとって何か大きなものに繋がることを願うばかりです。
女の子とも仲良く遊びました。笑
しかし、女の子はシャイでなかなか仲良くなるのに時間がかかりました。笑 見知らぬ人が突然きたら、そーなりますよね。笑
ホストファザーから得た新たなインサイト
現地の人とコミュニケーションを取るには、ホテルよりもホームステイがオススメです!
左側にいるホストファザーから深い話を聞きました。(ビジネスで少し有名な方らしい…)
学びとして共有しようと思います。
自分たちミレニアル世代が取り組むべき課題をグローバルな視点で話してくれたり、SNSがどれだけインパクトを持ち、これからどのように社会で使われるべきか聞きました。
中でも印象に残っている言葉は3つ。
お父さんの世代とミレニアル世代について、
戦争や紛争に使われる知識は何も生まず、君たちの世代が内に秘めた無限の可能性を、どう世に残していくかが重要だ。国籍など関係なく地球市民として世の問題を解決しなければならない。
2つ目…
ブラジルの成長は、アメリカや中国、ヨーロッパに共通するものを持っているからだ。それは、ダイバーシティ(多様性)である。どんどん異質が混ざり合い、化学反応が起きてターンオーバーしているからだ。
日本は、まだまだこれからだなぁと言うより、もっと日本も促進していかなきゃまずい…って感じたのを覚えています。
3つ目…は自分に向けてのメッセージでした。
自分の価値を見直し、探求し続け、人生を意味あるものにしなさい。身に付けたスキル、知識、経験は世界に残しなさい。
お部屋から見た朝日。
最後に、お父さんは日系移民がどれだけサンパウロ州の発展に貢献したか話してくれました。
そして、日本人であることに誇りを持ちました。
後日、JAPAN house、リベルダージ地区(日本食が食べられる!)と日本移民資料館を訪れました。
ブラジルと日本のつながり
まず、外務省のプロジェクトで、日本の文化発信拠点として2017年にオープンしたジャパン・ハウス
日本酒や伝統工芸品が売られてました。また、47都道県の工芸品が展示されており、とても日本を良くアピールできているなって感じました。
次に訪れたのが、リベルダージ地区。
日本食レストランに行き、カツ丼を食べましたが、とても美味しかったです!!内装も和を感じますね。笑
そして、最後に訪れたのが日本移民資料館。
日系移民の歴史は100年以上も前に遡ります。労働力として日本からブラジルに送られ、世界大戦を乗り越えて、彼らの大きな存在力を発揮した歴史を学ぶことができました。
当時のポスターによって、ブラジルは天国だ。と国民の間で噂が広まったらしいです。戦時中に希望を持ち、ブラジルへ行くも荒れ果てた地で強制労働を強いられた彼らの想いがどんなものか計り知れません。
それでも彼らは負けずにサンパウロ州の発展に貢献したのですから、同じ日本人であることに誇りに思います。
そして、ブラジル滞在中で1番衝撃を受けたのがこの風景。
皆さん、日本人のように見えます。しかし、会話は全てポルトガル語…息を呑みました。
人生で初めて感じた違和感でした。同じ日本人の顔をしているから、日本語を話せるという感覚が覆された瞬間でした、、
同時に、
長い間、いかに自分が島国 (狭く、みな同じ世界) で育ってきたか気づいた瞬間でした。
帰国までこの違和感は消えませんでした。
日本人の外見の人に日本語で挨拶して、ポルトガル語で返ってくる経験があまりにも衝撃的でした。
ブラジルでサッカー⚽️🇧🇷
ここまでくるのに少し長くなってしまいました笑
ここからはポルトガル語がわからない自分が飛び込みでサッカーに混ぜてもらった経験から、得た学びを話します!
言葉は通じなくてもサッカーは言葉そのものって認識してから、混ざりに行くのは慣れました。
少し、驚いたのがストリートサッカーしている人たちは1人も見かけなかったことです…おそらく、もう少し田舎の方に行かないと出会えなかったのかもしれません。
夜遅くまで残ってやった子供たちと最後に撮った写真です。↓
また別の日、公園でサッカーをしている人たちがいたので飛び込みました。笑
最後に、知り合いの母校にいき、子供たちとサッカーをしました。
このサッカーを通じて得た学びは、
みんな、個人技で魅了するプレーをしたがること。パスは最小限にして個人技で突破をしようとするエゴの強さを学びました。昔のロナウジーニョやロナウド世代のブラジル代表を感じさせました。ただ、すぐ倒れるところは現代のブラジル(ネイマール)の影響もあるのかなって感じました。笑
ブラジルのサッカースタイルをプレーを通じて学ぶことができました。
おまけに
ブラジルのサッカースタジアムとミュージアムに訪問した際の様子です。ちなみに、自分が話した人すべて、
一昔前の、ロベルトカルロス、ロナウジーニョがいた世代の方が今のチームより好きだと言っていました。
ちなみに、この下の写真はサッカーが下手な人に向けて使われる皮肉だそうです。笑
テクニックがなく、ボールの扱いが下手な人に、
お前の扱っているボールの形は四角なのか?笑
終わりに
今回はブラジルのサンパウロ州に滞在した際に得た気づきや学びを書きました。
まず、自分がコーチをしているチームの保護者の方々の協力もあり、孤児園にサッカー道具の寄付という活動を行いました。
そして、ホストしてくれたお父さんから自分の視野が広がるお話を聞きました。
最後に、日本と関係のある場所を訪問し、ブラジルと日本の歴史的な関係を学びました。
おまけとして、サッカーを通じてたくさんの方との交流を達成することができました。
この濃い滞在期間で学んだことは、1昔の日本人が多大な貢献を不毛の地で行ったこと。そのおかげでブラジルの人は日本人が大好きです。2サッカーをする子は皆ドリブル突破を最初に選択し、個人技で仕掛けてくること。ブラジルらしさをプレーを通じて感じました。
次回は、いよいよイギリス留学に向けて行った準備・英語勉強方法を紹介します。
少し今回は長くなりましたが最後まで読んで頂きありがとうございました😊