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できっこないをやらなくちゃ 畜産体験記


今年三月に大学の四年間を無事終えました。恵まれたことに何不自由なく高等教育まで通わせてくれた親に感謝です。

さぁ、それでは新たなステージへ。                 

......という矢先このコロナの影響で、勤め先の研修が1か月近く先送りになり(暫定的、恐らくもっと伸びるだろうなぁ)謎の空白時間が出来てしまった。研修もせず完全に無給だった為、また家庭環境的にも金を稼ぐ必要がありまして。

まぁ状況を嘆いても仕方ないので、今できることを探すしかないな…


そうだ、農業しよう。

というわけで農業の期間限定アルバイトをすることにしました。住み込みで働けば都心にでて仕事を探すより感染確率は格段に低いし、何より万が一もらった時に家族に移す心配もない。更に海外実習生が渡航できないとのことで農業の労働力不足があるというわけで完全に僕と農家の間にWin-Winの方程式が出来上がった。

最後に人にあってから14日間自宅で安静した後、ネットで就農サイトで見つけた農家に片っ端から電話を掛けた。見つかった受け入れ先は牧場。千葉県で乳牛を40頭程飼育する家族経営の牧場に勤めることに。

僕自身、近代の生産第一主義の畜産は環境的負荷が大きすぎると理由で否定的なのだが、自分自身の目で畜産の現場を見たことはなかった。すべての知識は人からの二次情報、三次情報であった為、どのように畜産が行われているか確かめる良い機会だと思ったのだ。


受け入れが朝に決まってから昼過ぎには必要なものを全部詰め込んだバンに乗り込んだ。我ながらいいスピード感。金もないので下道を走らせ三時間ほどかけて房総半島に真ん中、母の秋田の実家を彷彿とさせるようなスーパード田舎に着弾。ついてすぐ牧場特有の糞の香りが鼻を突きさす。周りを山に囲まれ、辺りは水が張られた田んぼがいたるところにある古き良き田園風景に鳥の歌声が響く。

案内された寮は牛舎の真隣りの古いプレハブ。中には、ベット、ちゃぶ台、冷蔵庫、掃除機があるだけの質素な部屋で、おまけに二つある蛍光灯のうち一つしか点かない。いたるところで闊歩する蜘蛛達がルームメイトだ。今まで泊まった東南アジアの最低水準のホステルって感じ。ここが5月末までの住まいか。ま、光熱費水道代寮費なしだから文句は言えない。シャワー、トイレ、キッチンは離れにあるもう一つのプレハブ。こちらに関しては水周りがあるせいか老朽化がはるかに進んでいる。トイレは和式で、シャワーにはハサミムシが元気に蠢いていた。あとから分かったのだが雨の日にはナメクジが小屋内に大量発生する。シャワーには目視できる中だけでも8匹、台所のシンク周りを這いずり回っているときは流石に嫌気がさした。

荷物ほどきをして部屋を整理していると、ついてさっそく17時から仕事だと言われ繋ぎに袖を通した。牛舎はかなり古びていてトタンの壁は所々吹き飛び蜘蛛の巣が至る所に張っている。足を踏み入れると、やっと慣れてきた糞の臭いが一層濃くなり思わず先ほど食べた菓子パンが”こんにちは”しそうになる。

真ん中を伸びる通路の両脇にはそれぞれ約20頭ずつ牛たちが向き合うように顔を覗かす。真ん中を通ると牛たちは興味津々に目を見開き、息遣い荒く頭を揺すっている。一方けだるそうに床に横たわる者もいる。真ん中の通路を歩くと両サイドの巨体に今にも押し潰されそうな気分になる。牛でかいことは知っていたが近くで見るとその迫力は想像をはるかに超えるサイズ感。正直全然かわいくない。「お前それ眼乾かんか」というほどぎょろぎょろに見開いた眼。長い舌を出しながら吐き出す生暖かい息が体をなでると寒気が止まらなかった。


「じゃ、餌やりから」

指示されたインストラクション通りに餌を与えていく。「最初に草二つ。」一つ当り恐らく20kg以上は軽くであろう 70㎝x50㎝x50㎝ ほどの立方体にまとめられたチモシーと呼ばれる牧草を手押し車に乗せ両脇の牛にほぐして配っていく。静寂が包んでいた牛舎内が少し騒がしくなる。四方八方から聞こえる巨体を揺らす牛たちの荒い息遣いと咀嚼音、何か水分を含んだ塊がたたきつけられるような音、蛇口の水を出しっぱなしにしたように勢いよく流れる水の音。

「次、配合ね」案内されたタンクのレバーを下ろすと配管から乾燥したトウモロコシ、何かの茎、何かの穀物、茶色いパルプ状のものなどが混ぜられたものが勢いよく滑り出で来る。芋のような少し香ばしい匂いがして人間の僕でも美味しそう。1mx2m ほどのワゴンカート一杯にいれた飼料を押していくと、牧草では反応しなかった牛たちが早くよこせと言わんばかりにいきり立つ。牧草よりも人気なようだ。通路の逆端につく頃にはワゴンの中はほとんど空に。次に”ビートパルプ”(黒糖のような香りがする黒い塊)を一匹当たり600gずつほど与え、次に巨大な桶二杯分の”ビールカス”を与える。これはビール醸造時に発酵させた麦芽の搾りかすだそう。甘酒のような甘酸っぱい匂いが広がる、こちらもいい匂い。

「次、また配合ね」マジか、かれこれ30分くらい餌を与え続けているぞ。ワゴン一杯の配合飼料を与えた後にまた草の塊を二つほぐして与えた。その後”アルファルファ”という違う種類の牧草を与えるように指示された。”チモシー”よりも青臭く遥かに硬い質の牧草で、同じ大きさの塊でも恐らく3~5kくらい思い。結局、40分近く餌を止め処なく与え続けたが牛たちは出されれば出された分、平らげてしまった。


「いったんこれで餌終わり、次徐糞ね」

オーナーさんの後ろを付いていくと真ん中の通路の端から今度は牛たちの後ろ側に回り込んだ。後ろには先ほどの餌やりの通路よりも狭い通路があった。地面は格子状になっていて、鉄格子にぎっしりと排泄物が溜まっている。鼻が曲がりそうになる強烈な臭いにまた思わず嗚咽しそうになる。

ボトボトッ。

先ほどの水分を含んだ何かの塊が叩きつけられる音の正体が分かった。握り拳ほどの大きさに開いた牛の肛門から勢いよく黄土色の糞が押し出されて、そのまま牛たちの下に敷かれたマットに自由落下していく。茶色いしぶきが周りに飛び散り、落ちた塊からはほのかに湯気が揺らめく。同じく黄金色の尿も肛門の下の膣から勢いよく流れ出て、足元を水浸しにする。列に一直線に並んだほとんどの牛たちの足元は糞にまみれていた。そしてそれら上に横たわるからか、その腹回りも糞尿だらけだ。その様子に絶句する暇もなく徐糞のチュートリアルが始まった。水はけを使ってマットの上の糞を通路に掻き出し、鉄格子の下に落としていく。ペースト状の比較的水分の多いタイプは掻き出すだけで格子の下に吸い込まれていくが、よりソリッドなタイプは格子の網目に詰まってなかなか落ちていかない。まるでパンにバターを塗るかのように巨大な水はけを使って汚物を地面に擦りつけていく。端から作業を始めたが、汚物は並べられたどこかしら穴から排出され、いくら取り除こうとキリがない。見たことないほど巨大なブツが間近で排泄される光景に眉間に皺を寄せながら作業を進めていく。出される汚物。掻き出す僕。モグラたたきのようにひたすら排出される糞を掃除する。まさにいたちごっことはこの事で、20分ほど経つとようやくひとまず落ち着いた。沢山出すとは聞いていたが、完全に想像以上の廃棄物の量であった。最後に下に落ち切らなかった糞をシャベルですくい、手押しの一輪車に乗せ牛舎裏の空き地にダンプした。もう一方牛の列に回り込み、同じことを繰り返した。


「掃除キリないからもういいよ。次、搾乳します」

一通り徐糞を済ますと次は搾乳作業に移った。乳搾りというと直手でしごく様に乳を搾るイメージされるだろうが、今は21世紀、もちろん機械が導入されている。四つの吸引口のついた吸引機を細長い乳首にあて一定時間待つと搾乳が完了する。とは言えそれに先立つ洗浄は一頭一頭手作業で行う。洗浄液を含ませた雑巾で乳首とその根元を拭き、手で少し乳を搾り異物か出てこないか確認し、最後に乳首にイソジンを付ける。その後搾乳機を装着し絞るという手順だ。

牛の巨体の脇にしゃがみ込み腹の下に付く乳をのぞき込む。カピカピに乾いた汚物がこびり付いていて、独特な獣臭と混ざり合いさらに強烈な臭いを放つ。顔と樽のように膨らんだ腹とその距離約5㎝、超絶接近戦だ。やっとのこと一匹を終えると指示されるままに次に移る。牛それぞれにも性格差にあり、気性の荒いタイプは乳を触られることを嫌がり必死に抵抗する。どうやら牛も好きで乳を搾られているわけでないようだ。後ろ脚を上げ前蹴りを食らわそうとしてきて何度か膝に被弾した。他にもしっぽをぶんぶんと振り回し、頭や肩を何度かはたかれた。よくよく見るとほとんどの牛の尾は汚物にまみれていてそれが顔に触れたと思うと一気に虫酸が体中を駆け巡った。また搾乳作業中も排泄は容赦なく行われ、超至近距離で汚物が飛び散る。今すぐにでもシャワーを浴びたくて仕方なった。

運転の疲れからか、しゃがんで立ってを繰り返すうちに段々と立ち眩みが起きはじめ、時々意識が飛びそうになる「このクソまみれのとこにだけは倒れてたまるか」必死に踏ん張り、壁に手を付き、白く眩しくなる景色が正常に戻るまで休み作業に戻る。

全ての牛の搾乳が終わると言われた通りにまた”チムシー”二つ、”アルファルファ”一つ、”配合飼料”をワゴンカート一杯分を配り与え、やっと今日の仕事が終わった。時計は八時半を回り街灯などない辺りは真っ暗になって、取り囲む山々の影が黒い景色に怪しげに浮かび上がっている。シャワーを浴びるが超至近距離での牛の排泄や顔を触れた尾を思い出すといくら洗っても汚れてる気がして気が気でない。コンビニで買った総菜を口に放り込み、この日は10時過ぎには床に就いた。


ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ、ピピ...

朝五時、けたたましいアラームに目を覚ます。山奥特有のひんやりとした空気に全くもって布団出たくなかったが、体に鞭を打ち重い体を起こす。プレハブのドアを開けると一層冷たい外気が流れ込み思わず首をすくめる。外に干していたつなぎに袖を通し、長靴を履いた。昨日綺麗な状態で渡されたこのつなぎも数か所カピカピに乾いた茶色いシミがこびり付き、沁み付いた牛舎の臭いが憂鬱な気分を誘う。

この日からのルーティンは朝5時半から10時前まで夕べと同じ餌やり、徐糞、搾乳、餌やりの工程。13時から”チムシー”二つ、”アルファルファ”一つを与えた後徐糞作業、約1時間半、そして16時からの夜の搾乳シフトを繰り返す日々であった。作業の八割が牛の糞関係で発狂しそうになり、「動物好きの人歓迎!!」と募集広告に書かれた誘い文句があったが「糞好きな人の間違いだろ」とやさぐれながら牛(のケツ)に向き合う。

2日、3日に一度の休みが与えられたが牛の肛門と汚物向き合うことの無いつかの間の休息に、高校の部活時代に感じていたOff日の尊さを思い出した。


「しんどい。辞めたい。」

一週間が経とうとして僕の頭は牛の汚物、この二言でいっぱいだった。相変わらず搾乳には慣れないし、荒ぶり蹴りをかます牛は恐怖でしかなかった。何よりも手を洗おうがシャワーを浴びようが、四六時中自分が汚物にまみれている気がしていた。もちろんつなぎを着ているので肌に直接汚物が触れる確率は低いが最も守りたいはずの顔は露出している為無防備で飛沫が被弾することは数回あった。また糞が外側に付いたつなぎを着ることですら汚染された気分になる。仕事が終わり手袋を外し手を洗うのだが、水を出すためにひねった蛇口は僕の手に汚染され、一度綺麗になった手は水を止める為に蛇口を捻りを再び汚染。その手で触れた身の回りのものは全て糞でまみれてるそんな気分になった。段々と日常と汚物との境界線が曖昧になっていく、そんな感覚に精神を病みそうになっていた。

5月末まで働くつもりでここの来たが「5月上旬まで、一か月で辞めよう」そう心に決めたことで、「一か月は何が何でも逃げ出さない」と自分自身に誓いを立てた。「世の中には好き好んで糞にまみれる特殊な趣向な方々もいるんだ、そいつらは実際に食ったりするんだぜ、それに比べたら」と自分自身に言い聞かす。無心でクソを掻き落とし、シャベルですくっていると自然と頭の中でサンボマスターがヘビーローテーションする。

「諦めないでどんな時も、君ならできるからどんなことも」

できっこないをやらなくちゃ

彼らの熱い叫びが心に染み渡る。


「おっしゃ、やるか。」

自分自身を奮い立て一日一日の作業をこなしていった。


―続くー


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