【読書】組織不正はいつも正しい
不正や不祥事は特別な会社にだけ起きるのではなく、どんな会社でも起きうるもの。ちょっとした顧客対応、ものづくりの一工程、SNSでの一つの発信、、、今はどんな会社でも何かの拍子で大きなリスクに直面することがあ
りえます。
犯罪学者ドナルド・クレッシーが理論化し、その後、公認会計士であったスティーブ・アルブレヒトが精緻化した「不正のトライアングル」では、不正に手を染めてしまう原因を「機会」「動機(プレッシャー)」「正当化」という3つの要素で説明しています。不正ができるチャンスがあって、不正しようという気持ちや、せざるを得ないプレッシャー、そしてそれを「仕方ないことだ」と正当化しようとする。この3つの要素が結びつくことによって不正が行われるとのことです。
この考え方は、不正を起こしてしまう原因を取り除けば問題を防げるという観点に立脚しています。
しかし、本書では、それだけでは現在起き続けている不正や不祥事の発生を防ぐには十分でないと考えます。
本書は、不正、不祥事が発生したときに、そこにはどんなメカニズムがあるのかに着目していきます。誰かが”つい”、”魔が差して”意図的に起こす不正、不祥事ではなく、組織の中で個人がそれぞれ「正しい」と思うことをやっていて、ある意味”不正や不祥事を起こそうという自覚なく”起きてしまうことを論じているのが特徴です。
個々の持つ正しさの推進、あるいはそのずれが組織としての不正につながっていく。そんな状況を「社会的雪崩」と表現し、近年の事例を紐解いて解説しています。
本書で取り上げられる事例は、今まさに問題となっている自動車会社の燃費性能試験の不正や、大川原化工機の冤罪事件。少し遡ってスルガ銀行の不正融資、東芝の不正会計、ジェネリック医薬品の不正製造等々、いずれも見聞きした事例であり興味深く読めます。
たとえば、東芝の不正会計の問題。この問題は、当時の経営陣が事業部に対してチャレンジと称した過度な利益達成目標を押し付け、それに耐えかねた複数の部門で不適切な会計処理による利益の水増しが行なわれていたというものです。
この件は、経営陣による過度な利益要求、利益至上主義の行き過ぎと捉えられがちですが、それで終わりにはせず、そこから考察を深めて、著者はなぜ経営陣と現場で達成可能な利益の認識がずれたのかということに注目します。
そして、以前は時間をかけて本社と現場が議論を交わし、利益目標をすり合わせることで「目標とする利益の達成にはどれくらいの時間が必要か」の認識が揃っていた。しかし、近年その文化が失われ、経営と現場で「時間間隔の差」が生じていたことを取り上げます。
時間をかけて議論を交わす文化が失われたという構造的な問題から、経営、現場それぞれの正しさの差異が表出します。この差異こそが危うさにつながったと指摘しています。
取り上げられる事例、その中で起きている不正の原因は様々ですが、問題を個人に帰結させていないことが共通点です。問題を構造的に捉え、組織全体が雪崩を起こさないような視点が重要であると主張しています。
著者は組織不正が発生した場合に「誰もそのことに気づかずに長い間常態化してしまっていた」という説明をよく聞くことがある。そして多くの人は、誰かが正しさを担保していれば、それに乗っかって自分の仕事をするものだと思うと述べています。
私たちはだれしも、上司の言うこと、会社の目指すもの、チームの目標、それが定められたなら、それに向かってしっかりと真摯に行動しようとするところがあります。
その定められたものが、根拠あるものなのか。適切なものなのか検証のすべがないこともあるでしょうし、検証にはコストがかかるものです。長年やっていることだと疑問を持つことすら難しいでしょう。
解決の方向性として、「正しさ」を複数的=流動的なものにして、正しさ同士を突き合わせ、緊張関係を築くことが有用だと提唱しています。
率直に言葉を選ばずに言うと、結構面倒くさいものです。意思決定を迅速に、生産的に経営を行っていくことが求められる現代の経営環境の中で、どう折り合いをつけていくか難しいテーマを突きつけられていると思います。