無意識で動かされることこそ自分自身に繋がっている証

無意識で動かされることこそ自分と繋がっている証

わたしは今年になり、これまでの人生の振り返りをしてきて、人生にはある一定期間の修行期間があることに気づきました。
そして、そこを抜けるために大きな挫折や出会いもあり、その出会いには、見えない世界からの介入も含まれていました。

見えない世界からの介入というのは、
どこからか知らないけれど声が聴こえたり、物体が動いたりして、強制力があるものでした。
何故そこまでの強制力が働いたかと言ったら、それはかなり間違った方向にいたからでしょう。

人生には、このように修行期間があり、その修行期間は主に周りとの人間関係を修復ための期間とも言えるでしょう。

以前も申し上げた通り、この地球は次元上昇しており、わたしたちもその影響を受けており過度期でもあります。
そのため、修行期間中の方は何らかの人間関係において問題と思えることが起きています。

例えば、これまで仲が良かったのに最近になり合わなくなったり、やたら衝突するようになったり、価値観が違うなあ、と感じることが増えて来たり。

そんな場合には、向き合わなければならないと考えることなく、離れることもひとつでしょう。

要は、合わない。
ということですから。

何故、合わないと感じるかといったら、互いに何か受け入れられないことがあるからです。

自分は、〇〇が受け入れられないんだな、と自覚して、生きていけば良いだけの話しです。


自分に合った人というのは、どんな自分でも受け入れてくれる人のことを指します。

どんな自分でも受け入れてくれる人と付き合っていった方が発展性があるので、合わない人ては離れることを恐れないでほしいと思います。

実際には、合わないのはいろいろな要因が含まれますがここでは言及しません。

また、話は戻りますが、先述したように見えない世界からの介入というのはさまざまあり、一見、自分がしたかのように思えるものですが、無意識に自分がやってしまったとか言ってしまったことが多々ありますね。

無意識こそ怖いものはありません。

無意識に毒舌になったり、
無意識にどこかに出かけて行ったり、
無意識にやらかしてしまったり、、、。

無意識で動かされることこそ自分と繋がっている証とも言えるでしょう。

繋がり初めの頃はあるかもしれません。
だけど、それを恐れないでください。

わたしたちは、自身が自分を導いていけるのですから。

離れなきゃならない相手や生産性も持てない相手に引導を渡すことをするのは自分自身であり、自分の魂なのです。

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