どんなわたしも誇らしい
一切の執着を外していい人やめて生きてみると、自己主張が強くて、自分勝手で思いやりもなくていい加減で悪魔ちゃんみたいな自分が現れてくる。
最初は、人から嫌われるし無視もされる。
そんな自分を抱き締めて慈しんで生きていく。
そうすると 周りもそれをだんだん許してくれるようになる。
そうなって初めて、周りの温かさを感じられて、生きていて良かったなあと思えるようになり 自分に良心が芽生えてくる。
やんちゃやってごめんなさい。
自分の意志を突き通してごめんなさい。
自己主張してごめんなさい。
自分勝手でごめんなさい。
と謝罪の気持ちがわいてくる。
わたしはただ、胸の奥から突き上げる何かがわからず暴れていただけだったんだけど、暴れて謝ったらたらスッキリしたのか自分のやりたかったことに気づき、やるようになりました。
でも、わたしからしたら、自分勝手にやりたいことやってきた延長にしか思えなくて、それが自分の使命だったなんて気づいたのは、だいぶ経ってからなのです。
いい人やめて楽に生きてるだけではここには辿り着けないと思う。
悪魔ちゃんみたいで自分勝手で自己主張の塊のような自分を慈しみ大切にすること。
魂はそれを望んでいる。
神様もそれを望んでいる。
だからわたしは、今でもそんなわたしを愛してる。
今でも、たまに それが顔出すけど 気にしない。
どんなわたしも誇らしい。
隠さず出してるわたしが誇らしい。
きっと 神様もそう思ってる。