〝君子〟も〝麗人〟もおおよそ近いと思っています。
不満がありそうな顔やな😆w
こんなつらつらと書くことに意味などあるのだろうか。
書きたいから書いているだけだ。
だけど、誰かを傷付けている可能性もある。
だけど、書かないと気付けないこともある筈だ。
だったら一人自分で書き続けた方が良いのでは? 紙に一人で。
この〝書きたい〟というのは〝電子媒体に書きたい〟という動機があるのだと思う。
それは自分の無意識の部分かもしれない。
うーん。
時々、父に訊ねる。
「やめたかったらやめればいいし、やりたかったらやればいい」とも言われる。
時々落ち込んでいる時などは、
「そう祐人は間違ったことを言っていないよ」と言う。…
自信が無いというよりも、
自分がいい人間になる道として正しいのか
迷う。
今日すこしコーランを読んだ。読んだ感じでは「あまり聖書と変わらんな」と思った。
案外、この世の宗教戦争というものは、表向き宗教間の対立に見せているだけで、武器商人やそれを商売とする者たちが暗躍しているだけなのかもしれない。
紙芝居を作って良かったな、と思うことのひとつに、自分の成長過程が分かる、というのは有ります。
これは漫画や他のメディアよりも分かるかもしれない。
おそらく宮崎駿さんも、絵コンテの中で自分の成長を感じ取っているのではないかと思う。一枚絵の連続性で紡ぐ話、物語には、作者の成長性が無いと説得力が(特にオリジナルでは)無いと思う。
まあ、それが紙芝居だと如実に簡単に出来る、という話です。(実感として)(一応)
紙芝居の作り手の中にはそうした紙芝居を〝人生紙芝居〟という文脈で言われる方も居るけど、僕としては〝人生紙芝居〟以外何を作るんだ?(🙃)とも思う訳で。
でも、そういう成長って微々たるものだな、とは思うけど。_φ(・_・💧
だから一番良いのは、「次の作品の作り方が全く分からない」という場合だと思う。
「作り方が見えてしまう」という方がスランプなのではないか。
それはひとつ、ストーリーテリングが、自分の為を介在せざる得ないからだと思う。紙芝居はおおよそ、作り手でも自身で読める(朗読出来る)ように作るので、自発的な作品創作になるっているんだと思う。そうしたことでオリジナルで作り続けることは、自分の物語を声で紡ぐことになるのだから、成長が
ある意味では、説得力になるのだと思う。
その時どう思い、どう行動したのか、という、
例え抽象的であっても
その時々における自分を出して作ることが、
観てもらえる分では、
何か気付いたり感じてもらえる処に
なるのでないか。
でも、じゃあ〝成長〟って何?とも思う。
おそらく、社会との関わりの中の自分の最善の答えなんじゃないかと思う。
モーツァルトって人はメモのように作曲をしていたんじゃないかな、と思う。ツイッターみたいに。
つまり連続的に〝人生音楽〟というのを書いていたんじゃなかろうか。
そのうちAIを使って、このツイートから音楽を作曲せよ、みたいなことも出来るのかもしれない。
ボブ・ディランがノーベル賞で述べていた、「少人数に演奏する方が難しい」というのは、〝人生音楽〟のより気を配った形で、その特定の場の人たちに届けなくてはいけないからではないだろうか。
そういう意味では、紙芝居は環境さえ整えば、少人数だろうと総人口だろうと変わらない。(多分)
多分それは(基本的に紙芝居には)〝リズム〟が無いからだと思う。
個々人の持つリズムが少人数の方が均一にすることの難しさがあるのではないだろうか。
僕の(述べる)言葉には僕の把握している以上の意味がある時があるように思う。(なんとなくそう思う)
あの忠臣蔵が
ロボットアニメになって帰ってきた。
ろくでもねえなあ。
#新・暴れん坊将軍
おれ、この将軍さま、嫌や。
仮に、「正しいことしか言えない人間」っていうのは何ていう…
「ライアー・ライアー」の逆でも無いし、うーん🙃?
「ライト・ライト」(?)
この〝正しい〟というのは人智の測れない何かではあるのだけど💧
あの…俳優さんとかで、まあ「コーダ(あいのうた)」もそうだったけど、その、当事者が演じる事には意味があるとは思うんですけどね、何でもその本物じゃないと、ってのは、いや、そもそもフィクションじゃん、とも思うし、それだったらヒーロー役には本物の善人を持って来いってえの?と思う。
令和ロマンの面白さって何ですか?(虚空)
一生懸命にならないこと。
おはようございます
よく寝た。
「君子」とは指導的な立場にある人のことを含めて、五徳(仁・義・礼・智・信の五つの徳)を備えた立派な人物、あるいは、絶えず「義」を思い、立派な人間になろうと努力する人を指します。
君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る|中小企業を活性化する経営誌 理念と経営 rinen-mg.co.jp/web-rinentokei…
五徳とは📱📝
五常の徳(五徳)に学ぶ、信用の大切さと信用を得る方法
皆さま、ごきげんよう。
例えば、アニメーターの現場で、「自分が失くなりそう」と思って辞めてゆく人たちは、ある意味、描くことが自分の文脈であり、描くことで自分の人生の中に点を打って、それを線で結んでいた人なんだと思う。
だから想像で言うけど、現場の仕事は余程のトップで無いと、美術大喜利みたいなものでそこに
自分や個性を出せないと、〝実感〟が持てない訳で、そうしたことが続き過ぎると、自分を失くした、とも感じてしまうのも、とても分かる気がする。
そうした、美術大喜利の中でも、個性を出し続けられる人が残るのではないだろうか。
と想像する。
まあ僕としては、「〝自分探し〟している〝自分〟も〝自分〟なんだよ」という
TOKIOの歌で言えば「ハートを磨くっきゃない」とか切磋琢磨とか
つまり〝君子〟を目指す他に無いとは思います。
〝君子〟も〝麗人〟もおおよそ近いと思っています。