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「当事者は嘘をつく」、と思う

2022年3月21日のこと。この日は〝宇宙元旦〟と西洋占星術では呼ばれているようで、時折Twitterやclubhouseなどを覗いては、その「見えない」元旦を、大勢の人々が祝っていているように見えた。
僕は、その日、国立新美術館へ行き、ダミアン・ハーストの描いた桜の絵と、メトロポリタン美術館展を鑑賞し、その帰りに新宿の紀伊國屋書店に立ち寄った。
6階の占い本コーナーから武道コーナーを見て、絵本コーナーを見てから、5階、4階と降りて行った。

3階の精神医学コーナーをふと見た。
当事者研究の本や、オープンダイアローグの本が表に積まれた中で、その左上、六分の一ぐらいに、「当事者は嘘をつく」(小松原織香著 筑摩書房)という本が並べられていた。
僕はこの、本の並びがとても正しいと思った。
僕は立ち読みした限りだが、思ったことを書いてゆきたい。
「当事者は嘘をつく」は著者自身が自身の被害から〝「回復」という過程を伝えざる得なかった事〟を社会に問いかける内容だったと捉えている。
皆が聞きたがっている「回復物語」を話すために、自身に対してや、周囲や社会に対して、嘘をつくことになる「事」に対しての問題提起の本であると僕は思っている。

当事者研究やオープンダイアローグの並びに、この本を置いた書店員の気持ちが、個人的にとても分かる気がした。
というのは、当事者研究やオープンダイアローグもまた、「当事者は嘘をつく」可能性がゼロでは無いからだ。
いやむしろ、〝当事者が嘘をつく〟可能性は高いと自分は思っている。
何故なら、研究者やコーディネーター、等…(呼び方は様々であれ)、当事者研究やオープンダイアローグといった〔イベントを施す〕人々を満足させるためには、「回復物語」に仕上げられた方が、「成果」として見えやすい形になるだろうと想像出来るからだった。

いくら世の中に成果としての「回復物語」が現れたところで、当事者本人が回復していなければ、それは上っ面だけの、当の本人の気持ちとは解離した回復、であると思う。
それがどれだけ本来の、本質的な回復として見出せるか、とても問題であると思う。
そんなことを、〝宇宙元旦〟と呼ばれる、「見えない」かたちの元旦に、「見えない」かたちの〝回復〟について、思ったり考えたりした。

(画像:ダミアン・ハースト「桜」)

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