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小説『いいねの数だけ死体が増える』 第 三章:量子サーカスが呑み込んだ物理法則

現実ではあり得ない,一瞬で人や建物が消失する奇怪な事件

 闇に包まれた夜の街を進むうち、私はこれまでにない不可解な噂を耳にするようになった。それが“量子サーカス”という得体の知れない集団に関する話題だ。空気中に幻灯を投影するような奇術を披露し、観客の前で突如人やモノを“消し去る”パフォーマンスを行う。普通のイリュージョンと違うのは、それがいわゆる“奇術”の域を超えて、現実そのものを歪めているかのように見えるという点だ。しかも、そのショーに参加したと思しき人たちの間では、どこか“時間や空間の感覚がおかしくなる”という不気味な後遺症が報告されていた。

 最初は荒唐無稽な話だと片づけていた。しかし、やがてネット上には「量子サーカスに参加した友人が消えた」「ショーの会場にあった建物ごと消滅した」という真偽不明の投稿が目につくようになる。しかも、警察が動いていないのか、ニュースに取り上げられないのか――どれも何かの圧力で隠蔽されているのかもしれないが、それにしては噂が妙に具体的すぎるのだ。歯車ゴーレムや影のフェニックスとはまた違った次元で、私の背筋を冷やす混沌の気配が漂っている。


1. “消失”という謎の現象

 私が量子サーカスの実態を本格的に追い始めたのは、「一瞬でマンションが消えた」という突飛なニュースをSNSで見かけたときだった。場所は下町の一角。夜明け前、住人が通報したところによると、隣のマンションがまるで蜃気楼のようにふっと消えていたという。寝ぼけまなこで外を見たら、そこにあるはずの十階建ての建物が一切見えなくなり、ただ夜明け前の空がぽっかり開いていたというのだ。もちろん住人の証言だけでは信憑性に欠けるが、コメント欄には「量子サーカスのトラックを見た」「前夜、怪しいサーカス団が勧誘をしていた」など、不可解な目撃情報が散乱していた。

 あの歯車ゴーレムや影のフェニックスが出現する裏で、“量子サーカス”という名前の集団が一瞬で人や建物を消せるなどあり得るのだろうか? しかし、そう断じきれないのは、これまで私が“いいね”連動型の怪異に足を踏み入れ、そのどれもが常識を超える現象と結びついていたからに他ならない。ゴーレムの軋む歯車音、オペラの断片、黒い羽根を散らす影の鳥――どれもが現実の理を嘲笑うかのように存在している。だとすれば、“量子サーカス”が物理法則を逸脱した仕掛けを有していても、不思議とは言い切れない気がしてしまうのだ。

 さらに追い打ちをかけるように、SNS上では“量子サーカスを見た”という投稿が瞬間的にバズり、いつものように凄まじい“いいね”数を叩き出していた。そこには華麗なピエロやアクロバットが踊る舞台の写真が添えられており、背景は宙に浮かぶ歯車や逆さまの建造物といった、とても現実とは思えない光景。CG加工かもしれないが、不気味なリアルさが宿っている。コメント欄には「これ、どこで開催されてるの?」「絶対に行ってはいけないサーカスらしい」といった混乱じみた書き込みが相次ぐ。何より奇妙なのは、この投稿をした当人が数時間後にはアカウントごと姿を消していることだ。まるで、量子サーカスそのものに呑み込まれたかのように。


2. “量子”の名が示す異常性

 量子サーカス――その名前が私の中でひっかかる。“量子”は言うまでもなく現代物理学の根幹をなす概念だが、それをサーカスと結びつける発想自体が怪しげだ。量子力学には“観測によって状態が変わる”など、不確定さがつきもの。もしこのサーカスが、人間の目を欺くだけの手品ではなく、“観測”をコントロールして現実そのものを書き換えているとしたら? そんな突拍子もない想像をしてしまうほど、ここで起こっている現象は常識外れだ。“いいね”が増えれば増えるほど、その奇術の力が拡張されるという可能性すら、私の中で否定できなくなっている。

 実は、あるマニアックな物理学者のブログを読み漁っていたとき、その人が「量子サーカスの出演者らしき連中から奇妙な資料を渡された」という記述を見かけた。そこには“アインシュタイン=ローゼンの架け橋”や“多世界解釈”といった専門用語が走り書きされ、同時に「サーカスを観に来る者は、全員が観測者かつ被観測者である」などという不可解なメモが貼り付けられていたらしい。そのブログの更新はそこで途絶えており、学者本人の消息もわからなくなっている。私の胸には、量子サーカスが物理法則を“呑み込む”という表現がリアルに迫ってきて、嫌な汗が滲んだ。


3. 消失事件の現場を探る

 ちょうどその頃、再び“建物が丸ごと消えた”という通報がネットを駆け巡り、私は急ぎその現場へ向かった。今回の消失は、小さな喫茶店だった。早朝、出勤してきた近所の住民が「いつもそこにあるはずの店が、入口ごと忽然と消えている」と騒ぎ立てたという。実際に足を運んでみると、狭い商店街の一角に、明らかに不自然な空きスペースが生まれていた。周囲の建物との隙間が妙に広く、まるでそこだけくり抜かれたような跡があるのだ。

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桑机友翔録

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