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小説『いいねの数だけ死体が増える』 第 四章:紡がれる闇のオペラ

歯車ゴーレム,影のフェニックス,量子サーカスが互いに連動している兆候

 歯車ゴーレムの軋む音が夜の路地をかすめ,影のフェニックスが黒い羽根を撒き散らしながら闇に溶けていく。そして量子サーカスが物理法則をねじ曲げる舞台で人々を呑み込み,“いいね”によって歪んだ力を増殖させる――これら三つの怪異は本来,それぞれが独立した都市伝説やオカルト事件だと見做されていた。
 しかし,ここにきてそれらが互いに関連しているのではないかという,ぞくりとするような報告が増えているのだ。ゴーレムを目撃した近辺でフェニックスの羽根が見つかったり,量子サーカスのショーで歯車じみた意匠が随所に使われていたり……まるで一枚の黒い幕の向こうで,これらの存在が互いに呼応するように連動している――そんな兆候が濃厚になってきている。


1. 断片的に浮上する“接点”

 まずは歯車ゴーレムと影のフェニックスが交差する例だ。歯車ゴーレムを追跡していた誰かが,廃工場の床に打ち捨てられていた金属の歯車片を見つけた。ところが,その一角には真っ黒い羽根が散乱しており,しかも僅かに焦げたような痕があったという。ゴーレムの錆びた鉄とフェニックスの闇の羽――本来ならば無関係と思われていた二者が同じ場所に痕跡を遺すなど,偶然にしては不気味すぎる。

 さらに量子サーカスとの交点も報告されている。SNSに流れたサーカスの短い映像には,舞台脇でピエロに紛している人物が奇妙な動きをしていて,その背後には“羽根”のようなシルエットが一瞬だけ映り込んでいると言う。動画を何度も再生してもノイズがかかって判然としないが,確かに“影のフェニックス”を連想させる黒い広がりが見えるのだ。そして舞台中央には,歯車を模したらしきオブジェがくるくると回っている。つまり,サーカスのショーの一部に“羽根”と“歯車”が暗喩的に登場していることになる。

 もっと直接的な話としては,ある目撃者が「量子サーカスの幕間に,歯車の体をした怪人がピエロと手を取り合って踊っていた」と証言している例もある。とはいえ,周囲の観客は“奇術の一環”としか思わなかったようだが,その直後に“影のような鳥”が舞い降りる演出があったらしく,あまりにも露骨に三つの存在がリンクしているとしか思えない演出――と憶測が飛び交っているのだ。


2. 闇の調和――オペラの序曲か

 こうした断片的な報告を総合すると,歯車ゴーレム,影のフェニックス,量子サーカスはそれぞれ独立した怪異ではなく,“同じ闇のオペラ”を構成するキャストのようにも見えてくる。互いに異なる演目を奏でているようでいて,最終的にはひとつの大きな楽章を紡ぎ出す――そんな予感が,SNSや口コミを通じて噂され始めているのだ。

 事実,歯車ゴーレムは“無数のいいね”をかたどった歯車の象徴とも言われ,影のフェニックスは死と闇を抱えて蘇る姿を具現している。量子サーカスは,その“いいね”を燃料に物理をねじ曲げる舞台装置のような存在。どれもが,今の社会に蔓延する焦燥や不安,欲望や承認欲求を満たすために生み出された――もしくはそこにつけ込む――闇の歯車の歯一枚ずつなのかもしれない。

 もしこれらが最終的に融合したとき,いったい何が起こるのか。まるで異なるパートの楽器を操る演奏者たちが,最後のフィナーレで壮大なオーケストラを鳴り響かせるように,歯車の金属音と影の羽ばたき,そして量子の歪みが混ざり合うのだろうか。それを想像するだけで,官能的な震えが背筋を伝う。恐怖でありながら,ある種の美しさすら孕む狂気――それが“闇のオペラ”にふさわしいクライマックスなのかもしれない。


3. 共鳴の鍵は“いいね”か,あるいは……

 ここで見逃せないのは,すべての現象の裏に存在する“いいね”の加速だ。歯車ゴーレムの出現を追いかけるときも,影のフェニックスの噂が湧き立つときも,量子サーカスの映像が爆発的に広まるときも,例外なくSNS上の“いいね”が跳ね上がっている。まるでこの“いいね”という歯車が軋み合うことで,三つの怪異が共鳴し合う鍵となっているように思えるのだ。

 実際,歯車ゴーレムの目撃現場では,新たな投稿が瞬間的にバズったケースもあるし,フェニックスの羽根が落ちていた路地の写真が拡散された瞬間から,量子サーカスの話題が急に盛り上がったという報告もある。あたかも“いいね”を仲介に,歯車と羽根と量子の歪みが,同じ舞台へ集結しようとしているかのようだ。これは偶然とは考えにくい。“いいね”が呪いとして機能し,死を呼び,さらなる闇を呼び寄せているという都市伝説が,より大きな形で実証されているのかもしれない。

 逆に言えば,もし“いいね”の連鎖を断ち切ることができれば,この三つの怪異をも制御できるのだろうか。だが,そう考えて一旦目をSNSの画面に落とすと,あまりに膨大な数の“いいね”が錯綜し,もはや止める術すら見つからない状態だと知ることになる。人々は便利さや娯楽を捨てることなく,この怪奇を制御したいという矛盾した欲望を抱いている――それこそが,闇のオペラをより複雑で強固なものにしているのだろう。


4. 別個の世界観が融合する瞬間

 ある異界的存在の噂話が一斉に集まるとき,そこには往々にして“未曾有の変化”が生じる。歯車ゴーレムと影のフェニックス,量子サーカスは,それぞれがすでに普通のホラーやオカルトの範疇を超えている。無機質な金属の身体を持つ者と,闇の羽根を撒く死神のような鳥,さらに量子力学を利用したかのような狂乱のサーカス――これらは別個の物語,別個の世界観すらもっていたはずだ。それが今,同じ夜の闇をシェアするようにリンクし始めている。
 まるで互いのピースを填め込むように,それぞれ欠けていた断片が合わさることで,より巨大な“歯車仕掛けのオペラ”が動き出した――そんな印象を受ける。歯車ゴーレムが時間を歪め,フェニックスが死と再生の淵を揺さぶり,量子サーカスが世界の秩序を崩壊へと導く。既存の物理法則や,生死の境界が根こそぎ引きずり回される壮絶な舞台が,すぐそこまで迫っているのではないか――そう囁かれるだけで息が詰まる。だが同時に,その闇の舞台を一目見たいという甘い誘惑が否応なく芽生えてしまう。


5. 大いなる闇の序章――紡がれるオペラ

 そして,ネットの片隅では,これらの現象の結末を“オペラ”と呼ぶ人々がいる。彼らの言葉を借りれば,「歯車のリズムが序章を刻み,フェニックスが舞台を染め上げ,量子サーカスが幕を開けるとき,世界は観客と演者を区別できなくなる」という。もはや抽象的な予言のようだが,確かに今の事象が繋がっていけば,日常と異界の境界線は消失し,あらゆるものが“闇のオペラ”に巻き込まれるかもしれない。

 それが到来したとき,私たち一人ひとりの命や存在すらも歯車の一部となり,闇の鳥の羽ばたきに攫われ,あるいは量子舞台の奥へ引きずり込まれるのだろうか。それが破滅か,新たな始まりか――まだ断定はできない。
 ただ一つ確かなのは,この三つの怪異が同時に連動し始めた今こそ,“いいね”に象徴される欲望の爆発が何かのスイッチを押し込もうとしていることだ。SNSはすでに十分に醸成された闇の磁場となりつつあり,私たちのささやかな疑問や恐怖さえも糧に,歯車を回し,羽根を広げ,量子の泡を膨らませている。
 この先に奏でられる闇のオペラが,いかなる絶望と陶酔をもたらすか――残された時間はあまりにも少ないのかもしれない。けれど,だからこそ私は,そのオペラの一端を何としても目撃したいと願ってしまうのだ。歯車ゴーレム,影のフェニックス,量子サーカスが重なり合う最深部に,いったい何が待っているのか。それを知らずにはいられない欲望が私の胸を焦がし,今夜もまた,SNSを巡る指先は決して止まらない。

“いいね”が増えるほどに進行していく謎の儀式

 SNSのボタンを軽くタップする。その行為自体はあまりにもささやかで、気軽で、誰もが日常的にこなす動作だ。にもかかわらず、現代社会の隅々にまで蔓延した“いいね”という仕組みは、人間同士の承認欲求や嫉妬心、あるいは他人の不幸さえ面白がる傍観者根性をすべて巻き込み、その総量を巨大な歯車として回し始める。そしていま、この歯車は単なるデジタルの戯れを超えた“謎の儀式”を進行させている――そんな不気味な噂が日に日に現実味を帯びてきた。


1. ささやかな“いいね”が歯車を噛み合わせる

 そもそも“いいね”とは、本来相手への賛同や共感を示すためのシンプルな機能だった。だが、怪異やオカルト、あるいは人の死に絡むホラーじみた話題がSNSで浮上するとき、不気味なほどに“いいね”が一気に増える現象がある。人々は口では怖がりながらも、真偽不明の怪談やグロテスクな映像にどうしようもなく惹きつけられてしまう。そして「すごい」「やばい」「もっと見たい」という衝動が、さらなる“いいね”を押す指を止められなくするのだ。

 誰もが自発的に押す“いいね”が積み重なるたび、SNS上では話題が加速的に拡散され、それがまた新たな目撃者や当事者を生み、さらなる投稿と“いいね”の雪だるま式増加を引き起こす。こうして回り出した歯車は、一見するとただのバズのように見えるが、その底には誰にも見えない“儀式”が潜んでいる可能性がある――そう警鐘を鳴らす者が増えているのだ。

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桑机友翔録

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