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アフリカのケニアで「アジア人初」のプロサッカー選手になった話
(もし面白かったらスキ押してほしいです....)
前回の記事「ケニアでシーズンを終えて」の続きから話します。
ですが、いきなり続きから話しても、話がわからないと思うので、前回の記事を超簡単に要約すると、ケニアで日本人がプロサッカー選手を目指すのは困難であるということである。なぜ困難なのか、それをどう乗り越えたのかを詳しく書いてます。
なので、まだ前回の記事を読んでない方は、是非そちらからお読みいただけると嬉しいです。
では続きから書いていこう。
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ケニアで初のシーズンは、悪戦苦闘をしながらも、なんとか11試合8ゴールと結果を残すことができた。
しかし、僕がケニアに来た目的は、プロになるためだ。
だから、ケニアで初のシーズンが終わり、一息ついている暇はなく、そこから本当の戦いが始まった。
僕は日本でもプロサッカー選手になったことがない。というより、なれなかった。それなのに、アフリカのケニアでのプロになる方法なんて尚更わからない。
だが、これだけはあった事は確かだ。それは、根拠なき自信だ。
方法なんてわからなくても、それさえあれば結果はついてくるだろうと確信していた。
だが移籍には公式に決められた期間がある。僕が初のシーズンを終えたのは移籍期間が終わる1ヶ月前だった。そこから、何をどうすれば良いのか分からないまま、とりあえず知り合いに片っ端から連絡し、プロチームのコーチや関係者の連絡先がないかを探しまくった。そして、やっとプロチームのチームマネージャーと繋がることができたので、「僕は必ず点を取りチームの勝利へ貢献できる、だから練習参加をさせてくれ!」という普通なら無視されそうなメッセージをプレー動画とともに送りつけた。
すると、連絡が返ってきた。なんとか練習参加が決まったのだ。
普通なら無視されそうだが、案外皆んなちゃんと反応してくれる。多分、誰でも出来ることだが、誰もやろうとしないから、送ってみると案外反応をくれるものだと知った。これは何にでも通じることだろう。
そうして僕はバス移動で10時間ほどかかるプロチームの練習場に向かった。
だがしかし、そこには日本人がケニアでプロを目指す難しい現実があった。
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まず始めに、これほどまでにかと何もない土地。道路の脇にレンガで造られた家があるだけの町だった。ケニア人は生活できるかもしれないが、日本人のプロサッカー選手を目指している自分には、ここでプロサッカー選手になりコンディションを維持できるのか疑問しかなかった。
練習参加の期間、僕は選手寮ではなく、ホテルに泊まったが、そこに向かうまでの道は、当たり前にガタガタのオフロードで、ホテルなのかというような建物だった。
しかもだ。僕はアジア人だからぼったくられた。ケニアで一番発展している首都のナイロビでも1泊2500円も出せばそこそこ良いところに泊まれる。なのに、この超ど田舎のセキュリティもないホテルが1泊4000円だ。ふざけている。
さすがに、連れてきてくれたチームマネージャーに高すぎると言うと、他のところを探してみるとのこと。そして、見つかったと思ったら、ここから1時間ほどのところに1泊6000円のところしか無いとのこと。完全にやられてる。ホテルの人に直接問い合わせると言うと、スタッフと友達だから俺が聞いてくるとのこと。
また帰ってきたが、同じことだった。
ホテルのスタッフとチームマネージャーは友達だから、僕の料金を高くして、通常料金より浮いた分をスタッフと分け合おうとしていたっぽい。ぽくない、絶対だ。このぼったくりが確信に変わった出来事は、のちにやってくることとなる。
どれだけ高すぎて泊まれないと言っても下げてくれないし、他のホテルも見つからないとのことで、僕は仕方なく、そこに泊まることにした。負けた。。
いや、待てよ。これ俺が入ろうとしているチームのマネージャーだよな、、、。
少しの絶望と加入したいという願望が格闘していた。
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そして、次の日から練習参加が始まった。ケニアプロのレベルが日本のトップレベルでプレーしたことがないから、日本のリーグレベルのどこに相当するのか分からないが、Jリーグ関係者が一度僕の4部の試合を見に来てくださった感じで言うと、1部リーグでJ2〜J3ぐらいじゃないかということだった。
実際に練習参加をしてみた感じでいうと、通用するレベルだった。しかし、4部とはレベルが違うので、能力も技術も高い。そこに適応するのに少し時間がかかりそうだなと言う印象だった。
だが、全然やれると感触した。
そして、3日間の練習参加が終わった。1、2日目の練習ではフリーキックを決めるなど、評価の感触はあったが、最終日の練習試合では、見せ場を作れず、出場して30分ほど経ったくらいで、突如スコールが降り始め、雷がなったので試合は終了した。肝心なところで結果を残せず感触的に加入することは難しいと分かった。
また、アフリカの地で外国人が、プロクラブでプレーするには乗り越えないといけないハードルがある。
それは日本でも、ヨーロッパでも同じことが言えると思うが、アフリカでは特に資金面が他の国々よりもシビアになる。チームが見ているのは、選手にお金を払い、それ以上のリターンがあるかないかだ。
ケニアではこれまでにアフリカ地域以外の選手が、1部でプレーした記録はない。なので、そこが1つのハードルになっている事は間違いないし、外国人選手を雇うほどの資金がないことが、さらなるハードルだ。
そこそこいい選手というだけなら、ケニアのサッカー、環境に慣れているアフリカ人を取ればいいと考えるのが普通だ。だから、外国人が異国の地でプロになろうと思ったら、それ以上のものがないと難しい。
結果は後日との事だったが、まぁ難しいだろうと悟った。そして、帰りのバスに乗った。
するとチームマネージャーからメッセージが届いた。もしかして契約についてかと思ったらと、なんと「今凄くお金がないから、お金を送って欲しい」との事だった。はぁ。これがケニアのプロチームか。ってかチームマネージャーが加入したがっている選手に言うことか。改めて、自分がどこでプロを目指しているのかとその難しさを思い知らされたと同時に、ホテルの料金はぼったくりだったと確信した。
その時点で、移籍期間は残り10日となっていた。
たとえ通用するレベルでも、移籍期間を過ぎてしまうと加入は出来るがプレーはできない。つまり、移籍期間が過ぎてから、選手を取ろうとはしない。時間はかなりなかった。
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だが、焦らされることはない。焦ってないわけではないが、焦らされてはいない。ここは重要なところだ。(←この思考について書いた2年前の記事があるので是非そちらもチェックしてほしい。)
なんとか他のチームの練習参加をできないか、色々と探した。最終練習会場に直接乗り込もうかとも考えた。
しかし、移籍期間が残り7日になろうとしてた時、最後の望みをかけて送ったメッセージに返信が来た。練習に参加してもいいとのことだった。
そこで思った。俺は持ってる。このチームに加入できると。まだ練習参加が決まっただけだが、なぜかそう思えた。
明日から参加させほしいと伝え、急遽次の日から参加できることになった。僕は急いで準備をして、その足で3時間かけて首都ナイロビに向かった。道中ケニア人に「チョンチャンチンチョンチャァ〜ンwwwwwホンヒンホンハァ〜ンwwwwwww(周りの仲間と爆笑)」と馬鹿にされながら(ケニア人は日本人、中国人、韓国人などの見分けがつかないので、アジア人がいるとチャイナと言い馬鹿にする。悪気ない人もいるが、ほとんどが馬鹿にしている)。
そして、移籍期間からして、ケニア1部プロチーム加入への最後の勝負が始まった。
移籍期間はギリギリだったが、5〜6人の練習参加者がいた。190cm越えの選手がいて、まさかフォワードじゃないよなと思ったら、フォワードだった。しかも、僕と同じ左利き。手強い強敵が同じ日から練習に参加していた。他にもめちゃくちゃ能力の高いフォワードも参加してた。
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僕にとっても彼らにとっても、最後のチャンスで、この選手たちより俺を選んでもらうためには何をやるべきなのかを、その状況から判断する必要があった。
このチームのスタメンの選手、そして、同じ練習参加者を観察した。
すると、やるべきことが少しずつ見えてきた。このチームでスタメンの選手には試合を組み立てることが求められているように見えた。点を取るストライカーの役割とボールを受けに行き展開したり、壁になることが求められていた。そして、練習参加者には、得点能力は高いが、ボールを受けて試合を組み立てる能力は低そうに見えた。
本当は最前線で常に得点の機会を待ち続けて、ストライカーとしての役割がやりたいことだが、この限られた時間の中で最大限に僕のことを欲しいと思ってもらうには、やりたいことより、やるべきことを優先する必要があった。もちろん常にゴールへの意識は忘れないが。
そして、2日間が終了し、紅白戦で戦略が上手くハマり点を取るなど、感触はとても良かった。チームやコーチの雰囲気も合っているように感じた。
僕と同じ練習参加者の190cm以上あるFWと僕より能力の高いFWも調子は良さそうだった。
そして、最終日に練習試合が行われた。そこでも僕はやりたいことより、やるべきことを徹底した。自分より能力が優れた相手と戦う場合、相当な能力がなければ能力勝負では勝てないので、何か新しい手を打たないといけない。
練習参加最終日なので、やはり結果は欲しかったが、やるべき事をやれば、結果は付いてくると思った。今日も組み立てに徹し、ボールを受けて散らしつつ、隙があればゴールへ向かった。結果2得点を挙げ、結果を残す事が出来た。
その日の試合後、監督とCEOに呼ばれ、「一緒にサッカーが出来ることに喜びを感じるよ。我がチームへようこそ」という言葉を頂いた。
これらが僕がケニアでプロになるまでのストーリーだ。
小さい頃から思い描いてきたプロサッカー選手とは全く違うが、これはこれで自分らしい結果だと思う。しかし、一つ壁を乗り越えると、そこにはまた違う壁が立ちはだかる。契約の問題、ビザの問題、給料や生活費など次から次へと。だから止まってはいられない。それは苦しいが、そこに満足はなく、自分の目標はもっと高いところにあることを教えてくれて、希望も感じられる。
『僕は今、ケニアで得点王になり、日本のJ1リーグへ加入することを目標にしている。今の自分には高い目標だが、自分ならやれると信じている。』
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