草場勇斗 | アフリカのケニアでプロ
悲しんでいるが、どこか前向きな草場を言葉にしています
熱い人に憧れる自分を言葉にしています
人生を通して、超凡人の俺が、ワルあがきをしてやる 12歳の時に、たてた「世界で通用するサッカー選手になる」という夢に向かって、これまで日々努力してきた。 それまでは、ぼんやりとサッカーをしていたが、その目標を掲げた日から、夢を強く、意識してきた。 しかし、見ての通り、上手くいかない事の連続である。こんなにも上手くいかないのかという程に。 中、高、大とチームではベンチを温めることが多く、大学だけで言えば、2年間で公式戦トータル出場時間、5試合弱だ。なかなか、厳しい現状だ。
はじめに 僕は常に、さらに、進化したいと考えている。 リスクを冒し、大卒と同時にケニアに来た。だが、自分の理想とはかけ離れた現状。もっと俺は出来る。でも、どうやって。そういった思いで、悶々と日々を過ごしていた。 そんな中で、前田さんの発信をSNSで拝見し、すぐにメッセージを送らせていただいた。本来は、完全紹介性だが、今回は前田さんにご縁をいただき、お話ししてもらえる事になった。 衝撃の会話内容 「99.5%の人間は、本来発揮できるはずのパフォーマンスを発揮できていな
僕は色んな人の人生に感化されて生きてきた。 皆さんから僕のことがどう見えているか分かりませんが、こう見えて、コンプレックスだらけなので、人のことを羨ましく思うこともあった。今はあまり羨ましいという感情を抱かなくなってきたが。 僕の人生に特に大きく影響を与えた人物は、本田圭佑選手と吉田松陰先生だ。この2人の生き様に魅せられ、右も左も分からない中学1年生の頃、こんな人間になりたい、いや成るんだと決めた。 そらからは、何をするにもこの2人ならどう考え、行動するのかを自分に照ら
初ゴールを上げたのは、約1ヶ月前の話し。 やっと初ゴールを決めれて、全身全霊で嬉しかったのを覚えている。でも、僕の目標は得点王になる事で、この1点で満足してる暇はなかった。その日は喜び切って、次の日からは、2点、3点目を決める為に、また新しい一歩を踏み出した。 そして、あっという間に時は過ぎ、2点目を決める事が出来ないまま2ヶ月が経過した。 一点でも、一点でも多く取りたい。 これだけは言える。ゴールを取るためだけに生活している。 最近は毎試合、残り10分ぐいの出場。一点
試合終わりのガタガタときしむ音が鳴り響くバス中でこのnoteを書いてます。 ケニアで公式戦デビューを果たしてから、2試合連続でスタメンで試合に出た。今日がその2試合連続でスタメン出た試合の2試合目だった。コーチ陣が自分がどれだけやれるのかを試していると感じた。 本田圭佑選手が「上に行く選手はここぞと言う時に、結果を残す」と言っていた。 僕にとっても、チームにとっても首位との試合で重要な試合だった(試合前チームは2位)。それは理解していたし、自分に言い聞かせていた。「ここ
(もし面白かったらスキ押してほしいです....) 前回の記事「ケニアでシーズンを終えて」の続きから話します。 ですが、いきなり続きから話しても、話がわからないと思うので、前回の記事を超簡単に要約すると、ケニアで日本人がプロサッカー選手を目指すのは困難であるということである。なぜ困難なのか、それをどう乗り越えたのかを詳しく書いてます。 なので、まだ前回の記事を読んでない方は、是非そちらからお読みいただけると嬉しいです。 では続きから書いていこう。 ケニアで初のシーズン
日本を出発し、ケニアに到着してから、気がつけば4ヶ月という時間が経っていた。 ケニアという初の海外、かつ日本から遠く離れた地での4ヶ月は、目にした事のない景色が常にそこにあり、そして、状況は目まぐるしく変化していった。 毎日が刺激的で時間はとてつもない速さで流れていった。一方で、それとは矛盾してるようだが、4ヶ月とは思えないほど濃い時間を過ごした。 8月に入り、気がつけば、ケニアで初のシーズンが終わっていた。 ケニアに来た当初を振り返ると、この環境で俺はやっていけるの
肉離れが教えてくれたことー ある程度真剣にサッカーをしだしてから、初の公式戦2日連続というのがケニアでは、普通にあった。しかも3週連続で、土日2連戦。その1週目、2試合目が終わり普通に軽く肉離れをした。1試合90分間を走り切ったら、次の日には筋肉痛と身体のあちこちが痛む。こっちのグランドは土で硬いから、普通に走っているだけでも足腰に負担は大きいし、転けるとその分身体に衝撃が来るので、日本でプレーしていた時よりも、次の日の身体のバキバキ度は酷い。その状態で、次の日の2試合目も
インスタグラムのストーリーで、社会人になった同期が、「今日も残業お疲れ様でした〜」って載せていた。 「残業」 ケニアにいる今の自分には無縁な「残業」という言葉を目にして、めっちゃ社会人してるなぁと思ったのと同時に、ふと当たり前の事実を思い出した。 あぁ、小、中、高、大と一緒にサッカーをしていた皆んなは社会人になったのか。俺も一応社会人なのかななんて思ったりして。 自分が特殊なケースなだけで皆んなは働いてるんだよな。それで自分はいまどこにいるんだっけ。あ、ケニアか。
諦めたらそこから試合開始ですよ 「サッカーで上を目指すこと」に限界が見えたと思い、もうこの夢を追うのは辞めようと決め、壁に貼ってある「日本代表になる」と書かれた紙を、壁から剥ぎ取り、くちゃくちゃにしてゴミ箱へ投げ捨てた。 それから僕は、夢を失い、光を見出せないでいた。空っぽになった身体を引きずるように生きていた。 そうして、来る日も来る日も、下を向いて歩いていた。でも、答えは何も出てこない。 ならばと、すがる思いで尊敬してる人に「お話ししたいです」とLINEを打った。
今シーズンが終わり、現実を突きつけられた。 大学でのラストシーズンが始まる前に、J3のチームに入るためにと、大学サッカーをやめるという決断をし、社会人リーグに入るという選択をした。しかし、現実はそう甘くはなかった。 結果、シーズン10得点で、得点ランキングは3位で終わった。 新しい環境に上手く適応することが出来ず、なかなか出場時間がなかった。しかし、やれることはやり続けた。 今シーズン、練習は人数は基本的に10人程度で、GKもいない。今シーズンはほとんどシュート練習を
何回か前のnoteで書いたので、知っている方もいると思うが、僕はいまサッカー部をやめて、社会人(アマチュア)リーグでプレーしている。社会人リーグから上を目指すと決意して、大学サッカーをやめ、新たな環境に飛び込んだが、現実はそう簡単なものではなかった。 社会人リーグは書いて字の通り、社会人がサッカーをしているリーグである。こう書くと誤解を生むかもしれないが、Jリーガーももちろん社会人である。では、Jリーグとそれ以下のリーグの社会人(アマチュア)リーグはどう違うのかというと、や
Aもあれば、Bもあり、またCもある。 ものごとがうまくいかなかったとき。われわれはその原因を何かのせいにしたり、何かに失望したり、忘れようとしたりする。もしもそのうまくいかなかった出来事を消化しきれなかった場合やうまくいかったそれに、多くの時間を費やしていた場合、それは失望ではなく絶望となる。そして気がつけば、「何のためにーー」というようなゴールのない無限ループの問いに苦しむことになる。僕の場合もうまくいかったとき、最初は「これは何でうまくいかなかったんだ」から始まり、最終
今回は『NOBISHIRO』の内容についてお伝えします。 『NOBISHIRO』とは? 1人の人間(アスリート)として成長する場です。 パフォーマンスを上げ結果を出すこと、高校生が繋がりを持ち高めあえる環境にしていきます。 ビジョン コンテンツ ・身体【physical】 「質の高い休息と回復」 ・思考【mind】 「自己理解」 【内容】 ▪️ サッカー選手のパフォーマンスを高めるオンラインヨガレッスン(グループ&個別) ▪️自己分析 1on1 zoomミー
私はこれまで18年間もサッカーをやってきました。 ずっとサッカーをしてきたということはずっとサッカーのコミュニティに属して生きてきたということでもあります。 一般的には私がそうだったように、一つのクラブチームに属したり、部活動に属したりと、一つのコミュニティに依存して、そこでのルールに従い、活動し、成果を出すのが当たり前だと思います。 しかし、そのように今属している一つのコミュニティに依存し続けることは、偏った人間関係や偏った情報収集など、かなりのリスクになると考えてい
これまでサッカーを続けてきたが、これでもかと言うくらい上手くいかないことの連続だった。 遡ること17年前(4歳)、僕は兄の影響でサッカーを始めた。訳もわからずただボールを追いかけ、気がつけば17年間もサッカーをしてきた。そして今、人生のほとんどをサッカーと共に進んできた。 振り返ると本当にうまくいかい事ばかりで挫折の連続だった。そんな、うまくいかない事ばかりだったこれまでのサッカー人生を振り返ってみる。振り返ってみることで何かを発見し、それを言語化し読んでくださっている方