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美しい武器の存在は否定されるべきでしょうか
武器を綺麗とかかっこいいって思う事があります。
銃であるとか、刀であるとか。
機械や刃物に美を見出すのはいけないことか。
何が好きであることを表明しても批判されるのです。
鬱陶しい世の中です。
大それた意見を発した事もなければ批判された事もないので被害妄想ですが。
他者を傷つけたり、ましてや命を奪うのは社会通念上の悪。
これは一定の市民権を得た意見です。
だから武器や兵器が否定されるのも理解はできます。
他者の意見や言葉によって傷つく場合もあるでしょう。
市民権を得た意見、というものの境界が曖昧であり、かつ素早く移り変わることに息苦しさがあるのではないか。
人は掌を返すことに躊躇いを覚えません。
新しい情報に触れ、意見を変えるのは良いことでしょう。
以前の考えが誤っていたと気づき、修正する。
素晴らしいことです。
しかし、その修正した結果こそが正解である、とまた同じ誤謬に陥る場合がある。
これもまた誤りかもしれないので、断定するのは慎重になった方が良い、とは思わないのでしょうか。
自己確信が他者への強要に変わり、異なる意見に対しては攻撃的になる。
現在の自己を肯定するために、かつての自己を投影した他者を批判している。
禁煙に成功した元喫煙者、というわかりやすい例が以前からあるように。
このテキストの行く末に大きな不安を覚えております。
さてどこに行こうか。
海か
山か
街だろうか
俺は家に居たい。
外には出たくないのだ。
人に会いたくないし、気候が意に沿わないかもしれない。
蟹が食いたいが、Amazonでも買える。
ラーメンが食いたいが、Uber Eatsもある。
品質は完璧ではないかもしれないが、一定の満足感は得られる。
味わったような気になれれば良い。
特段優れた感覚を持ち合わせている訳でもない。
本格的なVR時代の到来が期待される。
そしてそうなれば俺は徹底して引きこもり、世間と切れた状態でゆっくりと満足のうちに滅びることができる。
広く遍くVRが普及し、衣食住から食欲性欲睡眠欲までをカバーするころ、恐らく俺は老人だろう。
VRヘッドセットを装着したまま、理想的な人生をヴァーチャルなリアルでエンジョイしたまま枯れていくにはちょうど良い。
これからの人生はそこまでの時間稼ぎだ。
触覚や嗅覚までカバーすることを考えるとカプセル型も良いかもしれない。
何も本物の目や耳を使う必要もないのだ。脳に直接ケーブルを刺せば良い。
装置は人体から発生する生体電気を集約して動力源とし、VRの世界を維持しながら機械が発展するのだ。
その時、人類とはどのような存在だろうか?
乾電池である
それで良いのか?
目を覚ませ、ネオ
赤い薬か、青い薬か
以上、マトリックスという映画のご紹介でした。