短編小説 有限オートマトン
脳の仕組みや、意識が発生する仕組みについて考えたことがあるだろうか。
脳細胞が電気刺激をリレーし、そこから思考や記憶が生じ、体のコントロールを行う。
小さなスイッチが無数に連結された機械。ぼんやりとそんな風に捉えていた。
何かを目にしてからそれに触れるまでの間には、風が吹いてから桶屋が儲かるまでの連想ゲームを幾重にも複雑にしたような事象が、頭の中で無数に発生している。その程度の曖昧な認識だ。
脳の構造は宇宙の構造に酷似している、という画像を見たことがある。
宇宙もまた、大きな生命体の脳であるかもしれない。
私の存在は、その脳を構成する化学物質ひとつにも満たない、素粒子以下のものなのかもしれない。
私の振る舞いに意味などない。量子のスピンひとつを変化させたところで、何を変えられるのだろう。
自分が何かをする度に、宇宙のことを思い出しては自己を矮小化して満足していた。
***
私は、ものを運ぶ仕事をしている。
アプリからの指示に従って飲食店から商品を受け取り、アプリが指定するルートを通って、注文者に届ける。
所要時間は、たいていアプリが事前に計算した通りだ。
少し指示に逆らってみたくなり、いつも抵抗している。
通る道を一本だけ変える。必死で自転車に加速をつけて、想定される所要時間を短縮する。商品の受け取り指示が出た時点で、今日の業務を終了してみる。
変化はほとんど起きなかった。たとえ配達の途中で車に轢かれ、死体から汚らしい内臓を道路にぶちまけたとしても、何が変わるでもないだろう。
私のすることには、蝶の羽ばたきひとつほどの力もないのだ。
死ぬなら楽に死にたい。ぼんやりと頭に浮かぶのはそんな考えばかりだった。
いつものようにものを運ぶ。変化のない私は、今日も小さな抵抗を試みる。
アプリに表示されたルートの途中には、何度か訪れたことのある大きな公園がある。今日はここを通り抜けて、近道をする。
公園の入り口に差し掛かる時刻はちょうど日没の直後で、赤い薄雲のかかる秋の高い空が薄暗くなり始めた頃だった。
開かれたゲートを抜け、中途半端に広い舗装道を進む。
まばらに人が座り込む広場をぐるりと回って、公園の出口付近に差し掛かると、やや道幅が狭くなる。
自転車のハンドルに取り付けた明滅する白いLEDライトが、道の真ん中に落ちた黒い塊を照らした。
二メートルほど先、大きさは五十センチ程度。
カラスだ。横たわっている。中途半端に羽を広げて動かないところを見ると、死んでいるのだろう。このまま進めば踏み潰してしまう。
ハンドルを少し傾けて進行方向を調整し、死骸の脇を通り抜けながら横目でちらりと見遣った。
黄昏空の下では細部が見えない黒い塊の、恐らく黒いであろう瞳と、なぜか目が合った。
商品を配達し終えるまでの道すがら、カラスの死骸の事ばかりを考えてしまう。
あれがカラスの死骸であると認識したのち、意識の中でカラスという生き物の存在は希薄になり、私は死骸という物体を回避しようとした。
目が合ったと認識した瞬間は、くちばしのような形状を捉えたことで頭の位置を推定し、目のようなものの存在を推測する。
そのせいで目と目がが合ったように思ったのだろう。
次に死骸はカラスという生命の記憶を私の中で作り出した。
点が三つあれば、人はそれを顔と認識するのだ。顔を認識すれば私の中では生き物だった。それを物として処理したことに、ほんの僅かな罪悪感を覚えた。
カラスはどこかで生まれ、五十センチほどの大きさまで成長し、何かの理由で死んだ。連続する時間の、どの瞬間を切り抜くかで何者であるかが変化する。
卵、小鳥、少し大きな鳥、死骸。
切り取るタイミングによって、大きさも色合いも匂いも違ったのだろう。
カラスの死骸を取り巻く太陽の位置や気象条件など、生き物以外もこういった状態の変化を続けている。
私が認識している全ての瞬間は、単なる一つの、永遠に失われる断面だ。
商品の配達を終え、アプリから業務の終了を宣言した。
***
帰宅した私は、コンビニで買った酒と弁当を、袋ごとテーブルに置いた。袋の中で缶ビールが横倒しになり、小さく音を立てる。
シャワーを浴びて汗を流し、やや温くなった缶ビールだけを袋から出して飲み始めた。
私の意識は頭の中に重く沈むカラスの死骸に吸い寄せられ、その重力でスウィングバイをして、時間の分断が生じる過程へと飛んで行く。
例えば私がこの瞬間に消えたら、手に取った缶ビールはこぼれるだろう。缶ビールは缶から解き放たれ、飲み口から床に届くまでの数秒間はビール単体としての存在になる。その後は床の上の汚れであり、乾いてこびりついた染みに変化する。
連続していると思っていた時間が剥がれ落ち、透明な薄片になっていくような気がした。
時間の薄片同士は透けて見え、意識と視線を貫通させることで、状態から状態への遷移を映し出す。その遷移は、映画のように動いて見えるような連続性を持つものではなく、全ての瞬間を同時に俯瞰するような、重ね合わせになっている。
コンピューターを駆動する原理のように、状態から状態へ。0と1で状態を作り出すビットの集合は、その組み合わせをもってある一つの状態を表す。
ビットの集合に意味を与え、それをより抽象度の高い意味を持った状態として定義し、人間の感覚器官に捉えられる表現までたどり着く。
その時点で状態の終わりだ。
コンピューター内部の状態が死に、外部にその死骸が浮かび上がる。すると、それを見る人の視覚に刺激を与え、脳の状態が変化し始める。
コンピューターと人を、それぞれの薄片と捉えて透かして見たら、重なって一体となった状態の変化になる。
離れていた存在が状態遷移の鎖に捕らえられることで、ひと回り大きな状態遷移を生み出す。
脳の電気信号、カラスの生涯、宇宙の構造。
時間の経過と共に状態が一方向に遷移する、一つの有限オートマトン。
私が配達をする行為と、その中で起こすささやかな抵抗も、どこか知らないところで元に戻ることのできない状態の変化を生み出していたのだろうか。
今、ここにある私はひとつの薄片に過ぎない。この薄片は何と重なるのだろうか。ハラハラと時間から剥がれ落ちる私は、何を映し出したいのだろう。
***
寒さが増し、自転車のハンドルを握る手が少しずつ麻痺する。いつから持っていたのか定かではない手袋は、スマートフォンのタッチパネルに対応していない。手袋を着脱するのが億劫で、いつの間にか引き出しの底にしまったままになっていた。
今度手袋を買いに行こう。
空気が乾燥している。吐く息が白くなるほどの寒さではないが、ひとつ呼吸をする度に喉の粘膜から水分が奪われて行く。
温かい物でも飲もうか。
日常に抵抗することすらやめてしまった私は、少しずつ自分を気遣うようになっていた。
正確に言えば、私が気遣っているのは今の自分ではないのだろうと思う。
カラスの死骸と目が合ったあの日から、自分自身の存在が希薄になった。
幼少期から自己否定に隠れ、全てをやり過ごしてきた私にとって、この心境の変化は意外に感じられたものだ。
私が何かを考え、振る舞い、変化させた状態は、私のためのものではないのだろうと思うようになった。
剥がれ落ちた時間に映し出された私は、次に重なる私の薄片のための存在ではないか。
誰かと時間を共にすれば、その誰かの状態を変化させ、新しい状態遷移をもったシステムを構成するのではないか。
今の私そのものに何かを与えることはできない。薄片に閉じ込められた私に、現在を変えることはできないのだ。今までずっと、この事実に抵抗しようとしていたのだと思う。
全くの無駄だとわかっていて、そこから動けないままであることが苦しかったのだ。
しなくてよかったんだ。そんなことは。
今の私は、今の私でないもののために在って良い。
こうやって、少しだけ自分の状態を変化させた。