【ゆのたび。】30: 北のしーま 北海道 利尻島 ~夕刻に感じる、集落の湯と人の暖かさ~
私は島の北部にある町、鴛泊から南部の町の鬼脇を目指してバスに乗っていた。
鬼脇には博物館があり、また利尻昆布の直売店があった。
利尻島といえば昆布。軽いのでお土産にもちょうど良い。
またせっかくなら、利尻島の町の全てに足を運んでみたかった――沓形は今日の宿泊地で夜に行く予定だから――だから、機会を作って鬼脇に立ち寄りたかったのだ。
気を抜いていたら思わず一つバス停を乗り過ごしてしまったが、散歩を余計にできたと考えることにして、私は鬼脇の集落へと入った。
さて、私が鬼脇に来た目的は、前述したことだけではない。
私は……湯を求めているのだ。行けるところに湯があるのなら、足を運びたくなる。
そう、鬼脇にも湯がある。
利尻島には公衆浴場が3つある。それぞれが集落ごとに1つずつだ。
せっかくだ、利尻島にまで来たのなら、温泉にはすべて浸かりたい。
昨日に鴛泊の湯には入っているから、鬼脇の湯が2つ目の湯となる。
夜には沓形にある湯にも入るだろうから、今日で利尻島の温泉(ここでいう温泉は日帰りのできる温泉のこと)は制覇することができる。
ここ数日の体の酷使で、私の体は疲労が蓄積している。湯には何度入っても良いに決まっているのだ(少なくとも私としてはそう思っている)。
1つ目の温泉はこちら↓
3つ目の温泉はこちら↓
北のしーま
背負った重いザックと、お土産を買ったせいで増えてしまった荷物で汗をにじませつつ歩いていると、目的の温泉施設が見えてきた。
飾り気のない建物に、広い駐車場だが停まっている車は少なく、時間帯もあるだろうが随分と閑静な温泉だ。
いや、私は温泉に賑わいは求めていない。寂しさを感じるくらいに閑古鳥が鳴いているくらいが好みなのだ。
いや、そのような言い方は失礼だろうか。
だがともかく、なんとも私好みな温泉である。
こういうところでひとっ風呂浴びるのはえも言われない心地よさがあるのだ。
何より、利尻としては晩夏を過ぎて初秋といって良い時期なのにそうは思えない暑さと、持つ荷物の重さに汗をかいている私は早く湯でさっぱりしたかった。
中に入ると、年配の女性が受付をしていて私を迎え入れてくれた。
「今は誰もいないよ」
女性は観光客然とした格好の私にそう言ってきてくれた。
料金はおとな500円。
ありがたい、温泉を独り占めできるとは。気分が良くなった私は料金を支払い、白系の内装で統一された通路を進んで奥の浴場へと向かった。
泉質は低張性弱アルカリ性のナトリウムー塩化物炭酸水素塩温泉。
循環の湯ではあるようだ。
成分表を見るに、源泉は利尻富士温泉と同じらしい。
鬼脇から鴛泊までは結構離れているように思うのだが……どうやって湯を運んでいるのだろう?
パイプで? それともトラックで輸送?
小さい謎である。
脱衣所に入ると、1つのかごの中に衣服が入っているのが見えた。
誰も入っていないと言ってたじゃないか、おばさん。
スタッフの女性へ心の中で文句を言ってしまうが、致し方なし。
そういうこともあるし、言っても1人だけだ、十分だろう。
浴室には温泉の浴槽と水の浴槽があり、サウナもある。
脚の姿が見えないので、どうやらサウナに入っているようだった。
私は体を流すと湯に体を沈めた。
……あぁ、めくれた足の皮が痛い!
酷使でむけてしまった足の皮に湯がしみる。足を水面から上にあげて、ようやく落ち着いて湯を味わう。
確かに源泉は鴛泊の湯と同じだが、施設が違えば心地よさもまた一味違う。
熱めの湯に、私は思わず弛緩の声を漏らす。
あぁ、疲れなくてしんどくない時間を過ごすのは最高だ。
このまま湯に浸かっていれば体がスライムみたいにとろけてしまいそうだ。
のぼせそうになる前に上がり、水風呂に足を入れる。
水風呂は苦手だが、火照った体に冷たさが心地よいのでよく足は突っ込んで涼む。
サウナから出てその足ですぐさま全身を冷水に沈められる方々を私はいつも畏怖と尊敬のまなざしで見つめている。
と、隣のサウナ室の戸が開いて、もう一人の客が出てきた。
なんとなしに水風呂から離れて遠巻きに彼の様子を見ていれば、例のごとく、その客はためらいなしに水風呂に体を沈めた。
つまり彼は、私の畏敬の対象となった。
数度、温泉と水風呂を行き来して、十二分に体が温まった私はのぼせる前に湯を出た。
何度も湯に入っていれば、湯からの逃げ時も分かるようになるのである。
湯上りには冷たい水が置いてあるのがやはりとても嬉しい。
北のしーまには水のサービスとして、小さい冷蔵庫の中にピッチャーが入っている。
このタイプの冷水サービスは見たことがなかったので少し驚いたが、なんだかこのアナログチックなところが人の温かみがあって好ましい。
水はキンキンに冷えていた。
水は水道水だろうか、それとも湧き水だろうか。
随分と美味しく思えたから、湧き水だったらより嬉しい。
浴場から出ると、女性のスタッフが私へ朗らかに声をかけてきた。
「休んでいきなさい」
休憩スペースに置かれたソファーに腰を下ろせば、体から力が抜けて、尻に根っこが生えてしまう。
あぁ、このままここでダラダラと過ごしていたいなぁ。
どこにでもありそうなソファーなのに、どこか魔性の魅力があった。
優しいスタッフのおばさんとしばし歓談し、名残惜しく思いながら私は北のしーまを後にした。
また来たい。あの優しいおばさんにまた会いに来たい。
……次はいつになるだろう?
次に来た時にもあのおばさんが受付で微笑んでくれることを私は望んだのだった。
さあ、しばらく鬼脇を過ごしたら今日の宿の地である沓形に行こう。
明日には、鴛泊から利尻島を発つのだ。
あぁそういえば、図らずも明日で島を1周することになる。
利尻島に来て、島をこれで2周だ。
歩きで左回りに1周。
バスで右回りに1周。
両周りを一度の旅で、しかも異なる移動手段で行った者はそうはいない気がする。
……島に行くと、一周をしたくなるのはなぜなのだろうか。
人の性?
そうかもしれないし、違うかもしれない。
町の縁を一周したいとは思わないのに、島だとそうしたくなる。
思えば、人はいろいろなものを一周したくなる。
岩、木、湖、建物。対象を見やって、人はぐるりと歩きたがる気がする。
その境目は何なのだろう?
一周したくなるのと、したくない、その境目はいったい……?