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【ゆのたび。】 06:ヤムワッカナイ温泉 港のゆ ~見下ろす最北の港に、樺太をつないだ日々を馳せる~

旭川から乗車し、約3時間半をかけて稚内に至る。

キハ183系の古い車体を軋ませながら、私を乗せた特急宗谷は稚内駅に到着した。

2023年で運行期間36年あまりとなる、JR北海道の中でも最古の現役車両だったキハ183系だが、2023年4月10日で惜しまれながら引退となった。

このキハ183系車両は私が訪れたときで札幌・旭川から網走方面への石北本線への特急車両として運行されているのみで、本来なら稚内方面の特急車両には使われていないものだった。

しかし何かのアクシデントでか、私の乗る特急宗谷の車両はこの古い車両での代替運行となった。

そして私が訪れたときが、図らずも現役最後の冬の姿だったのである。

鉄道は好きだがマニアを名乗れるほどでもない私は旅程の中でこの古い車両に乗るつもりがなかったのだが、偶然にも乗車の機会に巡り合えたのだった。

日本最北の街である稚内は、すぐそこまでやって来ている厳しい寒さに身構えているようだった。

空は鉛色に曇り、海からは強い風が吹きつけてくる。地面には雪が薄く積もり、気を抜くと凍った地面に足を取られそうになる。

最北の地である宗谷岬へは、実は稚内市内から車で40分ぐらいかかるので今日中に行くには少々遠い。

ひとまず市内からバスで10分くらいで行けるもう一つの岬のノシャップ岬に行ってみるも、とてもではないがゆっくりとはできないほどの強風の吹き曝しだった。

天気が良くないので、屋外を歩くのは辛い。

日も落ちてきたし、街の散策は切り上げて温泉に行くことにしよう。

稚内駅から歩いて1キロほどのところに、『ヤムワッカナイ温泉 港のゆ』はある。



『ヤムワッカナイ温泉 港のゆ』



『ヤムワッカナイ温泉 港のゆ』

大きなお土産屋の隣に『ヤムワッカナイ温泉 港のゆ』はある。

二階建ての建物で、港のすぐそばに建っている。

温泉はこの建物の二階にある。


提灯がともる入口は趣がある

提灯が灯った入口は雰囲気があって良い。

自動ドアをくぐって中へと入る。

料金は訪れたときで大人680円。よくある値段設定だ。

入浴エリアはさらに上の階で、この階にはマッサージチェアなどのリラックススペースや漫画が置かれている。

また奥では軽食も食べられる。

どことなく、かつて青森市で訪れた『まちなか温泉』を思い出させる。

やはり人が望むものを詰め込むと、似た雰囲気になるのだろう。

少し懐かしさを感じる。

さて、入浴しよう。

最北の街のまちなか温泉を堪能しようじゃないか。

天然温泉を楽しめるこの温泉は、泉質が塩化物泉・含鉄泉・炭酸水素塩泉である。

浴槽は熱めの湯とそれよりぬるい目の湯の二つの内湯にジェットバス、外に露天風呂がある。

お湯は少しヌルリとしていて、美肌になりそうな雰囲気がいっぱいだ。

ぬるめの湯になら長風呂ができそうだ。よく浸かり、念入りに肌を磨いておこう。

露天風呂に行くと、日の落ちた外はとても寒くすぐに体の芯から冷えてしまいそうになる。

すぐに湯へと飛び込んで一息。ああ、暖かさが幸せだ。

暗くなった港に、船や街灯の明かりがぽつぽつと光っている。

薄く積もった雪の白と世闇の黒、そこに明かりの輝きが仲良く合わさっている。

転落防止の壁が悩ましい。湯に首まで浸かりながら港の眺めを見下ろしたいものだ。

ああ、かつてはこの港から、さらなる最北の地である樺太へと船がつながっていたのか。多くの人々が、その地とこの地を行き来していたのか。

私の知らない時代の姿に思いを馳せる。

かつてこの街を訪れた旅人たちも、同じように湯に浸かった港を眺めたのだろうか?



一階の樺太記念館で在りし日の賑わいをしのぶ


湯を楽しんだ後、私は一階に降りてみた。

一階は、かつて領土だった樺太と稚内が船でつながっていた歴史を学べる記念館になっている。


稚内駅の前身、稚内港駅のレプリカ

往時の稚内港駅の姿と、樺太とを抜ないだ歴史などが紹介されている。

稚内駅はかつて稚内港駅という名だった。

そして現在は日本最北の駅である稚内駅だが、当時はさらに北側に稚内桟橋駅があった。

さらに当時は日本の領土だった南樺太にも鉄道が敷かれていたので、当時の最北の駅は樺太にあったわけだ。

大正12年5月1日、当時日本の領土だった南樺太の大泊への連絡航路が作られる。

『稚泊航路(ちはくこうろ)』だ。


駅から直結の乗船口とはロマンである

1945年8月24日の大泊から最終便まで多くの人と物を運んだ航路の当時の姿を知る者は、もうかなり少ないだろう。

船の旅にはロマンがある。北海道から海を渡り、その先の地へと至れたかつてのように船旅ができたなら、なんとそそられることだろうか。


稚内のかつての街の姿の模型

隣にはかつての町の姿の模型が作られていて、タイムスリップをしたような気分にさせてくれる。

この模型のモデルの街と時代は違うだろうか、稚内と樺太がつながっていた当時も大いに町は賑わっていたことだろう。


温泉か、銭湯か

こんな湯に入って、私と同じ心地よさに浸ったのだろうか。


当時の入浴料金表

この値段が安かったのかどうなのか、私にはピンとこない。

安かったと信じておこう。


今、稚内にはかつてのような賑わいはないかもしれない。

しかし稚内を目指す旅人たちの想いはきっと変わっていない。

最北を目指す――その想いは、時を経ようとも同じはずだ。

それに、稚内からは利尻島と礼文島へと船が今も発着している。

ならば稚内は、今も変わることなく最北の玄関口としてあり続けてくれていると言えるかもしれない。



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