【ゆのたび。】23: 東京都 式根島 足附温泉 ~夏の島で、探せよ適温~
夜の東京から島へ行く船が出る。
大都会のど真ん中から出港する夜行便の、なんとロマンなことだろうか。
東京駅から山手線でふた駅の浜松町駅。そこから歩いて10分ほどで竹芝旅客ターミナルに着く。
東京の街は夜であってもどこも人で賑わっているが、ターミナルも変わることなく人々がうろついていた。
皆、船を待っている。大都会の中心から島へ行こうとしている。
東京には島がある。本州に近い方から伊豆諸島と小笠原諸島である。
本州から1000キロ以上南にある小笠原諸島は、世界自然遺産にも登録される貴重な自然を有する島々だ。
伊豆諸島もまた自然の豊富な島々であり、火山性の島々は起伏に富み、豊かな資源や素晴らしい景観をもたらしている。
伊豆諸島の売りは東京からのアクセスの良さだ。国内最大の人口密集地域から手軽に日帰りもできてしまう伊豆諸島は、もしかしたら最も親しまれる島々かもしれない。
人は都会を求めるが、しかして田舎もつまみ食いしたい生き物である。
かのマリー=アントワネットも、宮廷疲れを癒すためにわざわざ郊外に疑似的な農園を作り、そこで田舎暮らしのごっこ遊びに興じたそうだ。
田舎とは自然の多い場所。そして人は自然を好まずにはいられない生き物だ。
そういう意味で、いかに都会好きな者でも田舎を完璧に嫌う者はそういないのである。
私はその日、友人たちとともに深夜の竹芝ターミナルへ集合した。
目的はシュノーケリングだ。本土から離れている島の海は非常に綺麗であり、加えて伊豆諸島は黒潮の影響で南方系の魚が多く見られる地域だ。
南方系の魚は見た目が華やかなものが多い。いったいどんな魚たちに出会えるだろうかと期待しながら、私は船へと乗り込んだ。
夏の伊豆諸島は観光のハイシーズンである。そのため船は非常に混雑する。
最も混雑するお盆付近になると、もはや船室に客が収まりきらず廊下などで雑魚寝することになる。
歩くのがやっとになるくらいにぎゅうぎゅう詰めな、とんでもない状況での島渡りだ。ある意味で風物詩である。
私が乗ったときは最盛期ではなかったようで、廊下で寝ることにはならなかった。だが我々の選んだ一番収容人数が多くて最安値な雑魚寝スタイルの客室もかなりの混雑具合だったのを見るに、あと少し時期が遅かったらその風物詩を体験する羽目になっていただろう。
銅鑼の音がして、船が出港する。大都会の夜景が徐々に離れていく。
海上に明かりはなく、陸地から遠ざかるとひたすらに暗闇だ。
そうなればすることもないので、船内に戻るほかない。
しかししばらくすると消灯もされるので、スマホを夜更かしも難しい。
そもそも周囲の人々の多くは寝始めるので、あまり賑やかにするのは迷惑になる。
というわけで半強制的に眠りにつかされるのだが、結局のところさっさと寝てしまう方が都合が良い。
エンジンの駆動音と振動を感じながら目を閉じていれば、意外とすぐに眠りに落ちる。気づけば意識を手放して、心地よい夢の中に漂って……
そして突然の、爆音船内放送によってたたき起こされるのである。
「まもなく大島です。お降りの方は――」
本州から近い順に船は寄港していくが、そのせいで自分の降りる島ではない島の手前で無理やり起こされてしまう。耳栓をしておけば良かったと私は心から思った。
変に目が冴えてしまった。仕方がないから体を起こす。しばらくすれば目的の式根島が見えてきた。
式根島は複雑な地形をした小さな島だ。すぐそばに新島という島があり、そちらへも簡単に船で渡ることができる。
その独特の地形ゆえか、シュノーケリングスポットも豊富だ。自転車を借りれば一時間も走れば一周できてしまう式根島は、こじんまりとしながら見所も多い島である。
宿に荷物を置き、一通り島を散策してからシュノーケリングに赴く。それらがどうであったかはここでは割愛させてもらおう。
さて、夏の日差しの中散策やシュノーケリングをした私たちは、その足で温泉に向かっていた。
なんと式根島には温泉が湧いているのである。しかも一つではなく、何か所もだ。
伊豆諸島は火山性の島々だ。そのため温泉を有する島が多い。
温泉と綺麗な海を同時に味わえる伊豆諸島はとてもお得な島である。少なくとも私にとっては。
そして式根島。港の中でも温泉が湧くほどに温泉の豊富なこの島には、特に知られた温泉が3つある。
それらはすべて海岸沿いにあるのだが、私はその中の一か所に訪れることにしたのだ。
……ここで私は今でも後悔しているのだが、どうして私はすべての湯に入ろうとしなかったのだろうか。
友人たちも他にいて、私ほどには温泉が好きでもない人たちだったからなかなか自身の希望を通しづらかったのもある。しかししっかり希望すればきっと乗ってくれたはずだ。
しかしそうしなかったのは、ひとえに当時の私がそこまで温泉欲が強くなかったからだ。
行こうと思えば行ける場所ではあるが、どうせ行ったのならそのときにすべて巡りたかった。感想とかもまた違っていだろうに。
そのときの私は特に何も考えていなかったのだろうが、後悔先に立たずである。旅先ではのちに後悔をしないよう、積極的にやりたいことをやりつくす努力をするのが吉なのだ。
ワイルドな岩場の温泉、東京式根島『足附温泉』
話を戻そう。私たちは3つの温泉の中でも、足附温泉という温泉に向かった。
海岸沿いの急な海岸を降りると、その先にはごつごつした荒々しい岩の海岸が広がっている。波打ち際には窪地が幾つもあり、そこへ波により海水が入り込んできている。
なんとここが温泉である。窪地の底から温泉が湧いていて、窪地が天然の浴槽になっているのだ。
大都会東京に属しながら、まさかの野湯スタイルの入浴だ。あまりのギャップに驚愕である。
足をそっと差し入れてみると、熱い! 源泉温度が人が入れないくらいに熱いらしい。
そこへ海水が流入することで、良い塩梅に冷まされてくれるようなのだ。
湯の冷まし方も自然任せでとてもワイルドだ。
斜面の上には脱衣所やシャワーがあるものの、海岸には仕切りもないので好きな湯だまりを選んでの混浴である。
真っ裸で湯に入っても良いかもしれないが、たいていの人は水着着用だ。
さて、この湯に入るときにはコツがいる。
入浴にコツ?と思うかもしれないが、何も考えずに湯に入ると痛い目に――いや熱い目に遭う。
激熱の源泉は地面から湧きだしている。その場所がどこなのか全く分からない。
足先の感覚を頼りに、熱湯を避けられる良いポイントを探すことがこの温泉での最初にして最重要の仕事である。
ここはどうだろうか。足を入れてみる。熱すぎて入れない。
良さそうなくぼみを見つける。しかし今度はぬるすぎる。
岩同士の間に足裏が痛くならなそうな砂地があったのでそこに近づいてみるも、ぬるめな湯の先に猛烈な熱さの水の塊があるのが足の指先に感知してすぐに撤退する。だめだ、あそこも入れるところではない。
適温のポイントを見つけるのはなかなかに難しいのである。
ポイント探しもこの温泉の楽しみであり、あそこは寒い、あちらは熱いとワイワイするのも面白い。だがそれをし続けていると、だんだんと海風に体が冷えて辛さが出てきてしまう。
トライ&エラーの末に、海底の岩の出っ張りの上にしゃがむようにすればちょうど肩まで浸かれ、かつ温度もちょうどよいポイントを私は見つけた。
そこは周囲から源泉が湧きだしていて、一歩でもずらせばそこには激熱の湯である。ゆえに今いる岩の上だけが安住の地で、今の隙間から流入する海水で生じる揺れによってバランスを崩さないように気を付けなければならない。
だが、そのポイントで湯を味わってみれば、これがなかなかに染み入る心地よさである。
夏といえど、海風に当たっていると体は冷える。濡れているならそれはなおのことだ。
ポイント探しをしているうちに体が冷えてちょっと震えてきていたところに、この湯の暖かさは快感だ。
そして一度場所を見つけてしまえば、周囲のワイルドな景観を味わう余裕も生まれてくる。
人の手で整備された湯に浸かるのは当然良いものだが、こういう人の手の加わっていない、自然そのままな湯の中で大地に囲まれるのはスケール感が違ってまた異なる趣がある。
打ち付ける波に舞うしぶき。吹く風に荒々しい岩の肌。東京にいることを忘れてしまう。
――楽しい。ふと思う。そんな感想を持つ自分がなんだか不思議だ。
温泉に浸かり、気持ちよいや心地よい、落ち着くなどの感想を持つことはよくある。
だが、湯に入って楽しい、か。もしかしたらそう思うのは初めてかもしれない。
安らぎや癒しもあるが、普通の温泉にはない遊びの要素がここにはある。
体を落ち着ける入浴ではなく、遊びの延長としての入浴なのかもしれない。
こんな湯も良いものだな。なんだか温泉によって島の目的である『海遊び』が断ち切られていないのがどこか嬉しい。
目的がぶれず、一貫している。まさに地に足の付いた温泉であった。
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