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10月28日は僕にとって大切な日

いつも貴女のことを想ってる。

それは愛のような、憎しみのような、恋のような、怒りのような。

以前の記事で高校時代に教師に依存していた、と書いたが、その相手が”貴女”だ。

貴女はとても仕事熱心な人で、教師という仕事に誇りを持っている人だった。僕は(一人称は僕だけど性別を男と断定しているわけではない)高校に入学してから、自分の身に起きた家庭でのことを担任に相談していたが、同時に貴女にも打ち明けていた。

貴女は親身になって聞いてくれた。

僕は、というかもしかするとBPDの人間は、依存する相手を感覚で選んでいる。今思うと、貴女は僕の依存する相手としては申し分ない人間だった。

貴女には自傷行為のことも話した。そのことにとても驚いていて、どうにかしてやめさせようとしていた。
自傷行為をすれば貴女は心配してくれる。その時の僕は自分を守ってくれる、安心させてくれる、そんな人間が必要だった。
貴女は僕に運悪く選ばれてしまったんだ。

自傷行為は最初、生きることの確認手段だった。痛みが心地よかったし、痛みを感じることで生きてる気がした。

だけど貴女に出会ってからは、それだけの理由じゃなく、貴女を僕の傍に置いておくための手段になっていた。

教師と生徒。所詮は他人。ずっと一緒には居られない。
授業中や授業の合間は会うことはできない。だから昼休みや放課後は一緒に居られるチャンスだった。

だけど、貴女にも仕事はあるし部活動だってある。他の生徒の指導や補修、進路相談、教師はとにかく忙しい。

なのに僕はそんなこともお構いなしに自分と一緒に居てもらうことを優先した。忙しくて一緒に居られないと言われた時は自傷行為をした。そうすれば、貴女は必ず僕の傍にいてくれるからだ。

こうして僕と貴女はどんどん距離が近くなっていき、やがて引き返せないところまで行ってしまった。僕たちは共依存関係になり、貴女は僕の傍に居ないと不安で仕方がなくなってしまい、僕の言うことは何でも聞くようになった。僕が要求しなくても、もう貴女は僕の傍から離れられなくなっていたし、教師と生徒という関係からも一線を越えてしまった。

そんな日々が続いていた。

僕たちの関係は隠すことは難しく、教師内で問題視されるようになった。それはそうだ。貴女は僕に付きっきりだし、酷い時は授業を放って保健室や自習室にいる僕の所に来たりすることもあった。

僕たちをどうにかして引き離そうと、教師たちは必死に貴女を説得した。けど貴女はその説得には応じなかった。

2年生になった時には僕の学年とは違う学年の担当に貴女はなって、物理的に距離を遠くする作戦に出ることにしたらしく、そのことを僕は学年主任から言い渡された。

仕方がないと思う反面、そんなことをしても無駄なのにとも思っていた。

だけど結果は予想外の形で表れることになった。

貴女は不安感に押しつぶされて、ストレスから学校にこれなくなってしまったんだ。教師たちは困ったし、僕も困った。

僕が困ったのは会えなくなる不安だけじゃなかった。
依存はしていたけれど、同時に貴女のことを愛していた。

貴女が僕のせいで身体を壊していることに僕は申し訳なさを感じていたし、自分は居ないほうがいいんじゃないかとも考えていた。

本当は貴女は僕のことよりも、教師として色んな生徒と関わり仕事を全うしたいに違いない。気づくのが遅かったかもしれないけれど、これ以上貴女を傷つけるわけにはいかなかった。

僕が卒業までこの関係を続けていたら、もしかしたら貴女は死んでしまうかもしれない。それぐらい貴女は心も身体もずたぼろだった。

その時、死のうかな、と思った。
自分さえいなければ、という思いと、貴女がいない残りの人生を生きる自信が全くなかったのだ。

だけど在学中に自殺してしまったら、更に貴女を苦しめることになるかもしれない。僕は死ぬ前に、学校を去る必要があった。

ここまで話は長くなったけど、これが貴女と僕のお話。
本当はまだ続きがあるんだけど、また今度にしようと思う。

10月28日は貴女の誕生日。
おめでとうって言えたのは1回だけだったけど、この日が来る度僕はその日のことを思い出す。

実は貴女と離れて10年経った27歳くらいの時、僕は貴女に似た人と付き合うことになる。そしてその人が一緒に住んでいた愛犬の命日もまた10月28日ということで、今日は僕にとって特別な日なのだ。



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