言葉と記憶
言葉にすることで大切な記憶を失くしてしまう。
紀行文を書きながら、時々そんなことを考える。
昨年の冬に一人旅をしたときから、Instagramに紀行文を載せるようになった。10年後の自分が見返したとき、「あぁ、このときの自分はそんなことを考えていたのか」と振り返ることができるように、ある瞬間に振れ動いた感情を忘れてしまわないように、現在の自分からしか生まれない言葉を紡いでいる。
でも、言葉は万能ではない。
言葉で表現しようとすればするほど、そこからこぼれ落ちていくものものの多さに絶望する。言葉にしても、写真にしても、暴力的にある一瞬を切り取っているにすぎず、その背景には到底表現などしきれないほどの世界が広がっており、切り取った後も世界は変化し続ける。切り取った時点の世界は、もうどこにも存在し得ないのだ。
言葉によって、あるいは写真によって世界を固定化することで、記憶の広がりというのか、後から振り返ったときの想像の余白のようなものがなくなってしまうことを恐れている。
◇◇◇
7月の終わり。病院見学の前日、新潟に住む友人と別れたあと一人で福島潟という湖沼に向かった。特に、ここに行こうと決めていたわけではない。少し時間ができたので、Googleマップでおもしろそうなところを探して、気まぐれに訪れたのだ。
JR白山駅から豊栄駅まで30分ほど電車に揺られ、そこから50分ほど歩いたところに福島潟はある。県道から福島潟に至る細い道にそれる。「潟来亭」という民家を模した葺き屋根の建物の縁側にメガネをかけた30代くらいの女性がひとりぽつんと座っていた。彼女は、ただ湖沼の方をじっと眺めていた。まるでそこだけ風が凪いでいるように、自分の世界に沈んでいるように見えた。一体、彼女の目にはどんなふうに世界が映っているのだろう。
湖沼のほとりまで行くと、杭から黒い鳥が水面を走るように飛び立った。後ろの杭には順番待ちをするかのように、別の黒い鳥が止まっている。しばらく眺めていると、最前列の杭まで移動して、先ほどの鳥と同じように飛び立った。後日、黒い鳥の正体はカワウだったと知った。
ベンチに座って、次のカワウが飛び立つのを待っていたが、なかなか飛ばないので、諦めて先に進むことにした。空は曇っており、センチメンタルな空気を纏っている。
湖沼の縁を歩く。
福島潟干拓の歴史は江戸時代にまで遡り、当時、その面積は現在の20倍以上あったそうだ。享保15(1730)年に干拓事業が新発田藩によって開始され、その後、干拓された潟は農地や集落となりながら、その面積を小さくしていった。昭和43(1968)年には、国営の干拓建設事業が始まり、193ヘクタールとなった。現在は、逆に治水目的で堤防の造設が行われており、面積が262ヘクタールまで回復した。また、水害による被害もあり、放水路の整備が進み、複雑に分布していた水路網もより直線的に変化した。
ある土地を歩いていると、その土地の歴史に出会う。
しかし、僕たちが知ることができるのは、言葉や写真、あるいは映像として記録され、共有物としてまとめられた歴史であり、記録されない"歴史"は、そこから抜け落ちてしまっている。その”歴史”を僕たちは決して知ることはできない。
◇◇◇
話は変わるが、僕の父の実家は長崎県の五島列島にある。
幼い頃、五島列島の海で溺れたことがある。海の真ん中で姉と二人、別々の浮き輪の上。幼い僕にとっては海水浴場の砂浜は果てしなく遠くに見えていた。浮き輪同士は紐で繋がれていて、何かの拍子に僕の乗っていた浮き輪だけがひっくり返った。朧げではあるが、そのとき見た海中の様子は現在でも覚えている。音の記憶はない。だから、海底の砂と黒色の岩を内包する青い世界は、記憶の中で無音の世界として存在している。
気がついたら、父のサンダルが遠くの海面に浮かんでいるのが見え、父はサンダルに向かって泳いでいた。いつの間にか父に救助されていたのだろう。どうやって砂浜まで戻ったのかは覚えていないが、砂浜にあるコンクリートの階段で母と叔母に見守られながらQooを飲んだことは覚えている。
溺れていたのがどれくらいの時間だったのかはわからない。一瞬だったのかもしれないし、数十秒だったのかもしれない。ただ、それは延々と続く不思議な時間としていつまでも心の奥底に残っている。
幼い日の、まだ言葉で表現することができなかった頃のやわらかく繊細な記憶は、はっきりとした輪郭を持たぬままいつまでも流浪している。
◇◇◇
福島潟から駅までの帰り道、行きとは別の、堤防沿いの道から帰ることにした。ちょうど歩く先の方角に日が落ちるところで、雲がオレンジに燃えている。
堤防沿いの道を歩きながら、僕は懐かさしさに包まれていた。初めて訪れた土地の初めて歩く道なのに。こういうのをデジャヴというのだろうか。
嗅覚が、聴覚が、触覚が頭の中に曖昧に漂っていたやわらかな記憶の片鱗をくすぐる。過去の記憶と現在の意識が混ざり合い、自分の意思とは関係のないところで化学反応を起こしている。
実家の近くを流れる川を思い出していた。
小さい頃から川や堤防は僕たちの遊び場であり、逃げ込む場所でもあった。この場所にまつわるエピソードはいくつか覚えているが、大半は忘れてしまっている気がする。でも、そのもう言葉にされることのない個人的な”歴史”は、確かに現在の自分を形作っているという確信がある。そして、今、目の前に広がる景色にその記憶を重ねている。
リニアに進む時間の中で、過去の記憶は無秩序に頭の中を漂っている。
言葉にできる(したい)ことと、できない(したくない)ことがある。
言葉にすることで、実際にそのとき感じていた何かの大部分は抜け落ちてしまっていて、より抽象的な何かに作り変えられている。では、言葉にして記憶を残しておくことは意味がない、はたまた記憶を固定化してしまうという意味において悪きものなのだろうか。
そうではない、と思う。
記憶を言葉として残すことにどのような意味があるのか、残念ながら現在の僕はその確固たる答えを持ち合わせていない。
しかし、言葉にすることで僕の記憶は、この文章を読んでいるあなたとの、あるいは自分との共有物になる。そうすることで、あなたとの関係に何か予想もしないような変化があるかもしれないし、自分について何か新しい発見があるかもしれない。それはなんだかとてもおもしろいことのように思う。
だから、今は、こうして不完全な言葉を、ささやかに、繰り返し、紡いでいきたい。