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余白への逃避行

忙しさこそが正義だと思っていた時期がある。
大学1,2年生の頃、僕の手帳は予定で埋め尽くされていて、予定がない日があると不安になってしまう、そんな生活を送っていた。コロナ禍と共に大学生活が始まり、本来なら得られていた多くの機会を損失してしまったのではないかという焦りに対する代償として、そんな不安を感じていたのかもしれない。

若いうちは無茶をしてでもいろいろなことを経験した方がいいと言うが、当時の僕は、無茶をするにしても何か方向性を間違えていたのだと今になって思う。だから、大学の授業が忙しくなるにつれ、精神はみるみるうちにすり減り、息苦しさを感じる日々が増えた。

世界から離脱したい。
今抱えている仕事を全て投げ出すか、少なくとも保留にしてどこかここじゃない場所に逃げ出したかった。

コロナ禍も終息し、学年が上がるにつれて、少しずつ息継ぎの仕方がわかるようになってきたが、まだまだ友人から「いつ寝てるん?」とツッコまれるくらいには忙しくしていた。もっと容量のいい人間だったらなぁと、ないものねだりをしてみたりもした。
そんなある日、時々拝読している古性のちさんのある記事に出会った。

『人間界からのストライキはいつも海の真ん中の、あの場所で。』

基本、人間であることはたのしいことだと思う。
それでも時々、人間ではないものになりたくなるのは私だけだろうか?

人間界からのストライキはいつも海の真ん中の、あの場所で。

思わず「僕もです!」と手を挙げたくなるそんな書き出しの文章の中で、「豊島てしま美術館」のことを知った。

◇◇◇

昨年の12月、瀬戸内海に浮かぶ豊島を訪れた。

宇野港から、最終便の旅客船に乗り、豊島には18時半に着いた。島はすでに真っ暗でわずかな街灯を頼りに、予約していた民泊を目指す。製麺業を営むご夫婦がやっている民泊に着くと第一声に「ようこんな寒い時期に来たね〜」と言われ、部屋とお風呂を案内された。数日前から急に寒さが本格化し、部屋のある離れから、お風呂のある改修された納屋まで行くわずかな距離ですらコートが手放せなかった。

シャワーを浴び、簡単に荷物の整理を済ませた後は、ストーブで温まった納屋でお父さんから島の歴史や産業についてあれこれお話を伺った。産業廃棄物処分場のめぐる島の人々の闘い、ベネッセによるアート活動。それを島にいながら実際に当事者として関わってきたお父さんの想いのこもった言葉はスッと僕の中に落ちた。その感覚は僕の認知している世界を広げてくれると同時に、今、自分がいる土地に対する深い想像を与えてくれた。

翌朝、自家製そうめん付きの朝食をいただいた後、お父さんにバス停のある港まで送っていただき、バスで豊島美術館を目指した。
バス停から少し歩くと、下り坂の先に真っ青な空と深い碧の海が見えた。爽やかな風が頬を撫でる。

洞窟のようなになっているチケットセンターを通過し、敷地内を大きく迂回しながらアートスペースまで歩く。木漏れ日の揺れる遊歩道を歩いていると、ついに目的の場所来たという興奮と、なぜか温かな安堵感とを感じる。

入り口で靴を脱ぎ、静かに中に入る。ひやりとした感触が足裏から伝わってくる。大きな穴が二つ、そこから冬のからっとした寒空が顔をのぞかせている。壁の曲線に沿って歩いてみる。泉の方に行くと水を踏んでしまいそうになるので、端の方をゆっくりと歩く。それから、直感を頼りに落ち着ける場所を探る。そうして見つけた場所に腰を下ろし、ただぼーっと空を眺めてみたり、生まれてくる水とその行方を目で追ったりしてみた。

いたるところから湧き出す水は、重なり合い、一つの大きな塊となり、分裂して小さな水滴へと戻り、勢いよく流れ出したかと思うと、急に滞る。そうやって形を変えながら最後は同じ場所に帰っていく。まるで水そのものが泳いでいるように自由自在に、刻一刻と状態が変化する。
ここにあるのは、床から湧き出る水と、大きな穴から取り込まれる風・音・光、そして、頭上にひらめく数本の糸だけ。空間すべてが作品であり、すべてがその余白であるような無限の広がりを感じる。僕は自分の周りで起こるささやかな現象に彩られた世界の余白に身を置くことしかできない。

生命いのちの循環。時間・空間の連続性。全てのものは繋がっている。ここに座っていると、そうした感覚が自然と心の中に湧き上がってくる。

僕は何しにここまで来たのだろうか。
あまり人と自分を比較する方ではないのだが、それでも時々、自分の凡庸さに嫌気がさし、感謝を忘れ腐りそうになることがある。こうしている間にも、他の人は夢に向かって努力し、怠惰な自分ばかりがいつまで経ってもスタート地点に取り残されているような気がするのだ。

ずっと座っていると寒くなってくるので、時折、歩いてはまた気に入った場所に座るということを繰り返す。シーズンではないからか、入館者はまばらで、作品の中に僕とスタッフの二人だけしかいない時間もしばしあった。慣れている人だと、寝転がったり、ヨガをしたりすることもあるそうだ。

別のアートスポットに行くために一度外に出はしたが、結局、3時間も滞在していた。
だんだんと自分の座っているところが日陰になり、風の強さや音、匂いがかすかに変化する。日常から切り離されているようでいて、確かに時間が前に進んでいるのだとスマホのロック画面を確認しなくとも身体で感じ取ることができる。こうした身体感覚をどこで失くしてしまったのだろう。

いや、忘れているだけか。

◇◇◇

僕は自分で自分の世界の余白を埋めてしまっていたのだ。

豊島を出たあと、お隣の直島に移動した。直島でも「李禹煥美術館」や「杉本博司ギャラリー 時の回廊」などを見て周った。その翌日、直島から高松へフェリーで渡り、徳島を抜けて和歌山まで、1日かけて移動した。
和歌山に向かうフェリーの中、太陽が山の向こう側に消え、夜が訪れるわずかなあわい、一筋の水平線を見た。

緑がかった青。
決して手に入るのことはない青に僕は手を伸ばそうとしてやめた。永遠に遠くにあるからこそ、綺麗なものもあるのだ。

ファインダーから目を離し、遥か彼方に見える水平線を眺める。フェリーが切り裂いていく眼下の波とは対照的に、水平線を形成する深緑の海と碧い空はゆっくりと光のグラデーションを変えていく。

息をするのと同じように”情報”を吸収していないと不安になってしまうほどに、”情報”が溢れている世界で、急に”情報”の少ない世界の余白に放り出されると、どう振る舞えばいいのかわからなくなる。
でも、そんな世界の余白にしばらく身をおいて、ゆっくりと息をしていると、水が自然と流れていく軌道や、太陽からまっすぐに降りてくる光、身体を包むように通り過ぎていく風と自分との境界が曖昧になり、自分が世界に溶け込んでいくのがわかる。

余白とは想像力の広がりであり、それは心の豊かさなのだ。

豊島に来たことで、この大きな自然という共同体の中で、小さく生きている自分が確かにここにいるのだと実感することができた。それは生命を授かったことに対する感謝の心であった。

水平線


追伸;
この冬の旅の間、カメラのセンサーが汚れているのがずっと気になっていた。旅の序盤にして、そのことに気がついたとき、負の感情に心が支配された。もうこの旅ではいい写真を撮れないだろうと。
しかし、これはこれでいいのかもしれない。10年後思い出したとき、そういえばそんなこともあったなと笑い飛ばすことができればそれでいいのだ。
最後に、豊島2泊目に泊まった「カラフル」という素敵な宿で、撮った一枚を添えて。

センサーの汚れ カラフルにて


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