見出し画像

会話というもの

会話というもの

「会話はキャッチボール」
そう聞こえることが多い。

たぶん、なんだか違う気がする。
そんなに柔らかいものではない気がする。

「会話はお互いの投球練習」
それぐらいだろう。

できるだけたくさん投げたい、
お互いが投手(ピッチャー)である。
話したくて仕方がない。

投げるテンポ・フォーム・球種、
ボールの速さ・入るゾーン・曲がり方、
と違う。

お互いに投手なら、
「このフォームはどう?」
「このボールの速さはどうかな?」
とお互いが言い合えばいい。



投げたくて仕方がなく、
受ける人なんて関係なく、
両方が捕手(キャッチャー)でもないのに、
そう思い込んで投げまくる。

だんだん自分の捕り方がわからなくなり、
投げるフォームが崩れていき、
投げ方が雑になっていくのを
傍から見ていると、おもしろい。

気がついたら、
質問という豪速球。
それに対する言葉の変化球。
至近距離で投げられたら、
たまったもんじゃない。

まずは、
お互いが捕りやすい速度で
まっすぐ投げれるのだろうか。



ここまで書いときながら思ったが、
「会話はお互いの投球練習」
「お互いが投手」ではなく、

「会話はお互いの捕球練習」
「お互いが捕手」な気がする。

投げ合いじゃなく、捕り合い。
話し合いじゃなく、聞き合い。
かもしれない。

改めて、
会話とはなんだろうか。

2023/4/7

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?