「魔法の世紀」の根本理念はコンピュータにある。
僕がこの本で書こうとしているのは、そんな「映像の世紀」としての20世紀の次に訪れる、21世紀の社会についてです。目を凝らせば、これから起きる転換がどんなものかが見え始めています。僕はそれを「魔法の世紀」と読んでいます。
-「魔法の世紀」本文より引用
2020年6月の課題図書は「魔法の世紀」。
第2回目のnoteです。
落合陽一さんの主張によれば、20世紀は「映像の世紀」で21世紀は「魔法の世紀」。映像は離れた場所にいる他人と情報共有を簡単にしてくれました。その映像の世紀の最中、「魔法の箱」であるコンピュータが発明されます。
当初、コンピュータは暗号解読や弾道計算の装置として利用されていました。戦争用の計算機、だったわけですね。それがやがて、一般人向けのメディア装置として商品化され、一気に普及していく。「映像の世紀」におけるディスプレイの役割を当初は果たしました。
ところが、インターネットの登場以降、コンピュータは「映像の世紀」にはそぐわない方向に社会を動かし始めています。
-「魔法の世紀」本文より引用
映像の世紀においては、映像の共有によって社会が維持されていました。映像が人と人との仲介物として役割を果たしていた。しかし、魔法の世紀では異なる方法で人と人が結びついていると落合さんは言います。
映画館で映像と向き合っているとき、私たちは孤独に沈黙して、イメージと一対一で向き合っています。しかし、Twitterでは双方向的に、好きなだけ相手に話しかけられます。
-「魔法の世紀」本文より引用
「映像の世紀」と「魔法の世紀」の大きな違い。それは、他人と繋がる手段としてインターネットが中心的な役割を果たすこと。映像以外に使える手段が増えたことで、より多くの人がコンピュータによって直接繋がることのできる時代が「魔法の世紀」である21世紀の姿。
次回は、なぜ落合さんが「魔法」という言葉を使うのか、紐解いていきます。
Fate好きとしては、このあたりめちゃくちゃ大事なんだよなぁ。
今日も日刊ムショクを覗きに来てくれて、ありがとう。
大阪市、給付金のオンライン申請を受付中止しててワロタ。原始時代かよ。
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このnoteは「日刊ムショク」と題して、
無色の毎日をつらつらと綴る。
平日は7時ごろ、休日は9時ごろに更新予定。
また明日、時間があれば、覗いてね。
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