経験というモノサシを使って『学ぶ』ことをやめない
「要するに〇〇でしょ?」
あなたの周りに
相手の話を自分なりに要約している人はいますか?
ちなみに僕がそういう人間です。笑
ただ、
山口 周さんが書かれた
「NEWTYPE」という本を読んで
ハッと気付かされたことがあったので
まとめていきたいと思います。
「他者」を自分を変える
きっかけにする
僕たち人間は
過去の経験に基づいて形成された
パターンの認識能力によって
目の前の現実を整理して理解しようとする
と思います。
「そういえばこれ、この前も経験したな!
じゃあこうやって対処しよう!!」
みたいな感じですね。
その中で
「有能さの証」や「優秀な人」の
特徴として語られてきたのが、
過去の経験というモノサシを使いながら
物事を分解して分かりやすく説明できる
ということだと思います。
つまり上記で触れたように
誰かの話を聞いた時に
「要するに〇〇でしょ?」
という『まとめたい欲』がある人たちですね。
しかし、
※VUCAの時代と呼ばれる現代では
常識もすぐに変わり予測が難しいということで、
「あぁ、それね。分かってる。」
という『まとめたがる人』は
新しい発見を失っている
ということが
今回書いていく内容になります。
※VUCAとは
Volatility(変動性) Uncertainty(不確実性)
Complexity(複雑性) Ambiguity(曖昧性)
の頭文字をとって作られた造語で、
現代のような『予測不能な状態』を表す言葉。
ではなぜ
相手の話の要点を抽出し
すぐにまとめたがる行動がよくないのでしょうか?
その大きな理由としては
過去の実体験によって形成されたモノサシで
相手の話を理解しようとしてしまうことで、
自分とは違うモノゴトの見方であったり、
新たな発見の可能性を潰してしまう
可能性があるからです。
20世紀に活躍しハンガリー出身の
物理学者・社会学者である
マイケル・ポランニーさんは
「我々は自分が語れること以上に
ずっと多くのことを知っている」
と言い表していたそうです。
今の世の中ではこの経験や勘と言った
『自分が語れること以上の知識』を"暗黙知"
という概念で使われていたりしますが、
つまり
何気ない会話によるコミュニケーションでは
この暗黙知という「大事な何か」が
こぼれ落ちている可能性がある
ということです。
だからこそ
本当に自分が変わり、成長するためには
安易に「分かった」「理解した」とは思わずに
相手の話を傾聴し、共感することが重要
ということです。
この内容を本で見ている時に
「俺もよく人の話をまとめたがるな〜」
と図星を突かれるような感覚を覚えましたが、
ただ、よくよく考えてみると
相手の話をまとめるといっても
2パターンあるのではないか?
と感じました。
1つは浅い理解で要約するパターンです。
これは上記の話のように
相手の話を自分のモノサシで勝手に考えて
理解した気になるということですね。
そしてもう一つが
深い理解をするために要約するパターンです。
(疑問形の要約)
これは僕がよくやってるつもりなんですけど、
相手の話を聞いている時に
「要するにそれは〇〇ってことかな?」と
自分なりの解釈を提示することで、
相手の伝いたい根っこの部分を
聞き出そうとすることです。
どっちのパターンも要約はしていますが、
浅い理解で要約するパターンは
「そんなの知ってるよ」
みたいな感じで
相手の話に意味を見出していないような状態
だと思っていて、
一方、
深い理解をするために要約するパターンは
「もっと詳しく知りたい!」
という知的好奇心を持った上で、
話がごちゃごちゃにならないように
自分なりに整理して
相手の本音と照らし合わせながら傾聴していく
みたいな感じでしょうか。
正直、人の話って
しっかり準備していない限り
内容がバラバラな時って多い気がします。
「結局何が言いたいの?」
とか
「なんとなく理解できている気がするけど
チョットナニイッテルカワカラナイ」
というような状態ですね。
そのような時に
よく理解していないのにも関わらず
分かった気になって話を流してしまうのは
勿体ないと思っていて、
一旦、自分なりに要約して確認を取った方が
絶対に成長に繋がると思っています。
そこで自分なりの要約と
相手の真意がズレていたら、
自分にはない価値観に出会えた瞬間ですよね✌️
つまり個人的に思ったのは
相手の話を要約することが悪いのではなく、
理解した気になって
相手から本気で学ぼうとしない姿勢が問題
なのかなと思いました。
「他者とは『気づき』の契機である」
と本書に書かれていました。
人間は自分の考えや行動を
「俺は間違っていないんだ!」
と正当化したい生き物です。
ただ、その中で
自分の視点だけで世界を理解しようとすると、
自分とは違う他者の見方に対して
「お前の考えは間違っている」
と突き放すだけになってしまいますよね。
( #これぞアンチさん )
子どもから『楽しむことの重要性』を
改めて考えさせられる
みたいなことってあると思いますが、
それと一緒のように
どこの誰の話であろうと学ぶことはできる
と僕は思うようにしています。
コロナの影響で
オフラインからオンラインへの移行が
目まぐるしかったように、
現代のようなVUCAの時代では
これまでの当たり前だった常識が
すぐに書き換えられていくと思います。
つまり
自分の積み重ねてきた経験というものが
意味をなさないような可能性もある
ということですね。
そんな中で
自分の成功体験という名のメガネをかけて
世界を見ようとすることが、
どれだけ浅はかで危険なことなのかは
理解できると思います。
(体罰によって鍛え上げられた世代が
現代でも同じようなことをして
パワハラと言われ批判される光景がまさに
と言えるのでしょうか)
たくさんの経験を重ねてきた人ほど
自分のこれまでの軌跡を正当化したいので、
自分とは違う人の意見を否定したり
理解した気になって学ぼうとしないの
かもしれません。
そして、まだまだ僕も
そのような行動をとってしまうことが
しばしばありました。( #大反省 )
ソクラテス大先生の
『無知の知』
という考え方を改めて思い出し、
僕自身、無知であるが故に
これからもっと素敵な考え方に
出会うであろう可能性を自ら潰すところでした。
今一度、
全ての人から学ぼうとする意識を持って
生活していきたいと思います!!
P.S.
あまり要約しすぎると
話し手から嫌われるので気をつけましょう。
そこで
相手の話を要約する時はメモを取るようにしたり、
「あなたが伝えたいことは
〇〇って事で合ってるかな?」
というように
伝え方のニュアンスを変えて
学ぼうとしていることを感じられるようにする
ということが大事かなと今考えてみました。
ということで
「人の話を要約する時に
不快に思われないようにする方法を募集中!」
という話でした!
では!
ブラウブリッツ秋田 No.10 下澤悠太