いろんな側面を持つのが人
一緒に働く優秀で人格も優れている同僚、たまに電話する仲の良い友人に対して、「素敵ですね。」というような言葉を投げかけることがある。そうするとその同僚は友人は決まって「いやいや、そんなことないですよ」みたいな返答になる。自分もたまに誰かから良い部分を称賛したりしてもらうことがあるが、自分もまた「いやいやいや」みたいな謙遜をする。
そしてその謙遜は心からのもので、「称賛させれるほど立派な人間でもない」というふうに思っている。人によって受け取り方は様々だが、このように思って謙遜する人は周囲には多いように感じる。
これはたぶん自分の他の一部を知っているから出る謙遜だと思う。優しい一面もあれば、すぐに苛立つ一面もあるし、それは時による。タスクを早く終わらせるときもあれば、納期が過ぎているのにダラダラ過ごしているときもある。多くの一面を持ち、関係性やその時々の自分の状態であらゆることが変わる。自分を知っている人ほど、その多面性に気づき、称賛されたときに、別の側面を思い浮かべて謙遜することが多い気がする。
他者から自分に対して言葉を受け取る時、他者に言葉を投げかけるとき、この多面性を理解するとよりシンプルになる。称賛される自分はそのような側面を持っている。それはちゃんと他者からの言葉として受け取ろう。そして他者に投げかける時に他者の側面について話しているのだということを頭にいれよう。
良くも悪くも〇〇な人なんていない。そういう側面があるだけだ。そうやって生きていくともっとどっしり自分と向き合えるような気がします。