他者への陰口が自分の人生に与える意外な影響
会社で働いていたときに、よく仕事の合間の雑談や仕事終わりの居酒屋でご飯を食べているときに話すことは会社のこと、共通の同僚のことが多かった。いわいる噂話や、陰口ともとれることを自然と話していたり、社長や経営陣の批評めいたことを話して盛り上がっていた。また誰かについて面白おかしくイジり、ギリギリの切れ味での批判を楽しんでいた。たしかにそれは面白かったけれど、今振り返ればその場を離れたときは自然と自分がどう話されているか、どういじられているか気にしていたように思う。みんなの前で話すとき、何か自分で進めているPJTをリリースするとき、どう思われているかを必要以上に気にしていた。
辛口コメントや誰かの行動をイジることはたしかに場が盛り上がることも多く、またわかっている風に見られることも多い。だけれどもそれによって生まれるのは、他者の行動を笑い、ひそかに周囲の目を気にする閉塞的なコミュニティである。一瞬の快楽によって、少しづつ形成されるその雰囲気は自分の挑戦を阻害することになりかねない。
自分がなにかを発信するときや挑戦するとき、どのように見られるかすごく気にして、いてもたってもいられなくなるのは、過去の自分がそういったコミュニティで生き、自分も他者の行動をイジるようなことをしていたからなのかもしれない。そう考えるとやはり、他者の行動を笑ったり、いじったりすることは、他者に対してもそうだし、表現者としての自分をだめにしまう行為だ。まず自分を大切にするためにも、他者を大切にする必要がある。
そして世の中には、自分自身も他者も大切にできない人がいる。誰かの行動を笑うことでしか、自分や周囲の人を満たせない人がいる。そういう人からはちゃんと離れる必要があるし、絶対にその行為を気にしてはいけない。
陰口をいわれている、イジられていることを知ったとしても「自分とは異なる価値観のコミュニティで生きている人であり、もう関わる必要がない人だ」と思う必要がある。
他者の行動をイジったり、気にすることで自分らしさを失うことは人生を台無しにすることだ。