そこで止めない
333日目
嬉しい。
楽しい。
幸せ。
そう思えること、そう思えたことをそこで止めない。
例えば、
美味しいと思ったその場所を、
自分が知っているだけに留めてしまうのか、
ここ美味しかったよと、
誰かにもその美味しいを感じてもらえたらと思うのかの違いと似ている。
ここで色々な勘違いをされるのだが、
感じてもらいたいのはエゴでそうすることではない。
美味しいを同じように美味しいと思ってもらいたいではなく、
美味しくて嬉しかったことを、
その人も少しでも感じてもらえたら、嬉しくなってもらえたら嬉しいなと心から相手を想って伝えているのかだけだ。
お裾分けの感覚に近い。
自分だけもらえたからいいではなく、
自分ももらえたし、誰かにも分けてあげたいという気持ちなのである。
自分さえ良ければいいではなく、
同じことをしたら怒られてしまうから、
そうならぬよう教えておいてあげたほうがいいと思う心。
時にはそれが余計なことに繋がるかもしれないが、想いの起源自体は大事なことだと思う。
自分が怒られなければいい、ではないということ。
学べたこと、得たこと、
少しでも誰かの肥やしになればと考え、渡していく。
最終的に、
学べたこと、得たことを活かすも殺すもその人次第なので、強要ではなく、気持ちのいい共有であればいい。
そこで止めないことが大事である。
決して押し付けのそれではない。
パスを出す。
そのパスをシュートして決めるのも決めないのもその人次第だが、いつか決めてくれるであろうシュートを打てるためのパスを出し続けること。
パスは押し付けではない。
シュートを決めて欲しいという願いなのだから。