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走り続けること

332日目

休まずに走り続け、
家族との時間も、大切な人との時間も、
何もかもを犠牲にし、
全てをそれに捧げ、
やがて達成出来る何かがきっとある。

きっとあるのは確かだとしても、
家族との時間も大切な人との時間も犠牲にして得たその達成は、
そのような人であったら、
犠牲にしなかったとしても、達成出来なかったのだろうか?

休まずに走り続けるというのは、
最初から休むことを前提に動いている人とでは当然差が出る。
休まずに走り続けるくらいの勢いはあってもいい。
むしろあったほうがいいと思う。
でも「くらいの勢い」であって、
そうするべきだという訳ではない。

犠牲にし、達成は待っていても、
犠牲にしたことで、
感覚や価値観として犠牲にしたそこでは得られない何かもあるということ。
何もかも犠牲にして達成した、その達成は間違いなく達成であり素晴らしいことで、誰もが出来ることではない。
ただ、犠牲を生まずにやれば、
得られるはずであった確かな感覚がそこにはあったことも間違いない。

何をどう捉えるかだけなのだが、
走り続けることは悪いことではなく、凄いことで、素晴らしいこと。
走り続けたからこそ、少し止まって、今まで出来なかった、尊い何かを回収することも大事だということ。

走り続けることだけが全てではない。
走り続ける覚悟やその強さも尊いけども、
同じくらい尊いことが、走りを止めた時にもあるということ。

どこにも気づきがある。
そして走り続けること、止まること、どちらも大切なことを深く理解する。
走り続けてよかった。
少し止まってよかった。

走り続けている人は、
たまには止まることも試してみてはいかがかと思う。


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