許せるようになること
287日目
許すというと、
どこか上から目線のような、何様だ?と思われるような言葉になってしまいがちだが、
ここでは分かりやすくそのまま使いたいと思う。
許せないことが起こる時。
何故そうなるのかが理解出来なかったり、人の弱さの部分、そうなってしまう現実を自分の価値観や正義感の物差しでどうしても受け入れられない状態が許せない時。
「普通に考えて、そんな事しないだろう。」
「普通に考えて、そんな事言わないだろう。」
が、過ぎる時は大体そういうことだ。
普通に考えて、人を殺めないだろうは、極端過ぎるのでこういう類は外して考えてほしい。
自分自身の立ち位置や、精神的状況、経験値などが及ばず、色々な影響があり、
所謂の許せないという感情が芽生えることはあって然るべきで、むしろないほうが怖い。
ゆくゆくは瞬間的に許せるような考え方が出来るようになるといいのかもしれないが、それはすぐに出来るものではないと思う。
許せるようになる一つのきっかけは、
引き摺らないことだと思う。
あの時こうだったから。
昔そうされたから。
を、いつまでも引き摺るのではなく、まずリセットする事。
引き摺ったところで何も良いことは起きなければ、終わったことが変わるわけでもない。
そこに囚われる感情ですら、自分自身への毒にもなりかねない。
誰にとっても良いことではないのだ。
それでも人は引き摺る。
許せない自分を責める必要はない。
ただ、許せる自分でいる際のイメージを持てばいい。
許せないままでいる自分と、
許せる自分とで。
この2つを比べた際に出来るイメージの違いは明白だと思う。
そうして、
少しずつ許せるようになる。許せるようになる大切さに気づいていくのだと思う。
スタートはいつだって許せないところから。
それは致し方ない。
そのスタートからどう進んでいくか、どう持っていくのか。
許せる人に出会ったり、
許しているその姿を見ていると、懐の大きさや、寛大さ、温かさなど何とも言えない気持ちになる。
時間はかかったとしても、
許せる人になっていきたい。