人としての「器」とは?(137)
どうも!
裕太郎です。
私の長所はどこかなー?と探した時に「器が広い」という点が思い浮かび上がってきました。
というのも周りからありがたいことに器が広い点が良いところと、フィードバックを頂くからです。
ヒトから沢山言ってもらえるので、自分でもそうなんだろうなと思うのですが、「器が広い」とはどういうことなのか、自分なりに書いてみたいと思います。
◎私が思う器とは?
私が思う「器」とは「相手を受け入れる」事だと思います。
「広い」というのは相手を受け入れられる「範囲」なのかなと解釈しました!!
つまり、器が広いとは、相手を受け入れられる範囲が広いという事。
良いところ、共感できないようなところも全部ひっくるめて「愛おしい!!!」と思える人は100%器を持ち合わせた方です!
◎自己分析
なぜ器が広いと言われるのか、自己分析をすると、「相手に矢印を向けない」事が理由だと思います。
ヒトなので、時には感情的に誰かから物を言われ、カッッとなることがあるかもしれません。
だって人だもの。うんうん
しかし、その感情の後処理がとても大事だと思っていて、「相手が悪いんだ!」と解釈するのではなく、必ず「自分のどこかに原因があったのかな?」と省みるようにします。
前者の考え方は、相手が悪い!以上!で終わってしまうので、相手が変わらない限り何も変わりません。
けど、そこそこ生きてきた皆さんなら、相手を変えるのはとても難しい事を知ってるかもしれません。
なので、どんなに怒りを相手にぶつけても、関係が崩れるか、心の距離ができるか、いずれにしろモヤモヤが残り、あまり生産性のない結果になると思います。
後者の場合、「自分の原因」を探すので、改善点を見つけようと脳が働きます。
「自分」はきっとコントロールできる範疇にあると思うので、何かしら変化ができます。
クセで感情が動いてしまうかもしれませんが、次へ確実に繋がる成長ができるのかなと思います。
私は後者の方が自分にとっても、相手にとっても爽やかな解決に繋がるのではないかなと思ってます。
◎課題の分離
また、もう一つ私に大きな影響を与えた考え方があります。
「嫌われる勇気」という岸見 一郎さん、古賀 史健さん著書の本があります。
この書籍の中にアドラーの思想である「課題の分離」という観点が出てきます。
この考え方は私の人生に大きな衝撃を与え、ガラッと物事の捉え方が変わりました。
それは相手の課題は自分の課題ではないという事です。
人間関係の中で相手から理不尽な事で何か言われたとします。
一次感情はなんで自分が怒られてるんだ?と若干イラッとしながらも、場を最短で収める様に謝るなどして最善を尽くし、後は自分に何か原因があったのか考えるだけです。
理不尽に相手が怒ってきた事は相手の課題であり、自分とは関係ない事象と捉えます。
そうすると、そんな相手も「人間味があり愛おしいなあ〜!!」と解釈して、「あとは、頑張れ!」とこれからのその人の人生にエールを送りながら、自分が成長する解釈だけゲットして終了!
そしたら、自分にはメリットしかない!
この時に相手を思って指摘しても良いかもしれませんが、ヒートアップする事の方が大半で、あまり生産的でないと私は思います。
言い負かしてしまったら、win-loseの関係ができてしまうので、win-winの関係で終える様に、何が学べるかだけ吸収して終えた方がサッパリしてるかなと感じます。
◎まとめ
こんな考えに至ったのも沢山の本との出会いや、日々の解釈のトレーニングの賜物だなと思います。
感情のコントロールは一朝一夕では成し遂げられず、時間のかかる作業だと思います。
ついカッとなってしまっても、一旦自分の心に手を当てて立ち止まり、原因を追求して、自分の成長に繋げてみてください!
「嫌われる勇気」はとても良い本なので、是非読んでみて下さい!!
それでは!
https://www.amazon.co.jp/嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え-岸見-一郎/dp/4478025819