台北が好きで嫌い 〜台湾旅行後半編〜
3日目の朝、珍しくiPhoneで毎日かけている機能しているんだかしていないんだか分からないアラームで目覚めた。
AM7:15
昨日までと同じように朝シャワーを浴び、余談だが僕は髪質が硬めなこともあり髪がそこそこ長い今、朝シャワーを浴びないと帽子なしでは外出できない。ホテルで特段美味しくはない朝食を食べて今日の目玉スポットへ向かった。とは言ったものの、今日はここに行くことしか計画していなかった。
駅を出ると半袖がちょうどいいくらいの心地よい風が吹く。風に背中をそっと押されながら道を進むと、横には小さな店が軒を連ねてきた。心地良い風が止み、生暖かいむわっとした空気に一変する。八角と臭豆腐の強い匂いが鼻の奥へと入る。顔にまとわりつく匂いとは裏腹に、まるで獲物を狩ったライオンのように学生達が昼ごはんを頬張る。そんな道を抜けると、突然視界が開け、正面にはガラスと打ちっぱなしのコンクリートが特徴的な建物が。そこを進むと今までの空気から一変。程よい緊張感と学問の風が吹く。赤レンガ造りの建物に囲まれると、そこは国立台湾大学だ。
正直なことを言うと、国立台湾大学(以下NTU)はキャンパスが大きくて1日では周りきれないということ以外は東京大学本郷キャンパスとか慶應義塾大学三田キャンパスとさほど違いはなかった。と言うのも、NTUは1928年に大日本帝国統治下の台湾総統府によって台北帝国大学(TEU)として設立され、東京駅駅舎的な赤レンガ造りの校舎が建てられ、良いのか悪いのかその建築を現在も使用しているが故に日本のそれと大した違いのないキャンパスであった。
しかし、日本のそれらとの大きな違いは道の広さであったと思う。台北市内にあるが、そのキャンパスの広さに比例するようにキャンパス内の道路は日本と比べて大きかった。例えて言うなら筑波大学だろう。移動は自転車が必須で、歩いているのはわずかな学生と観光客だけであった。
キャンパス内に多くの台北帝国大学時代の建造物が残されているのは、NTUが台北帝国大学を前身の大学として考えているからということも関連していると思う。韓国はソウルにあるソウル大学校も大日本帝国の統治時代には京城帝国大学であったが、廃校後にソウル大学を「新設」したために、京城帝国大学は全く別の組織と位置づけている。
(僕の知り合いの東大生がソウル大生に同じ旧帝大同士頑張ろうと言われたという話もあるが。)
もう一つ挙げるなら、英語話者が無数にいた点だ。別にこれは日本のそれらを批判するわけではない。英語で日常的に会話している学生が恐らく圧倒的にNTUの方が多い。それもアジア人の学生がそうであった。何がそうさせているのか定かではないが、実際にキャンパスの雰囲気も日本とは違い、どちらかと言うと海外の大規模大学(UBC: University of British Columbia, BCに似ている)の雰囲気であった。
そうして半日以上を台湾の最高学府で過ごし、疲れる体を労る時間もなく足早に松山文創園区へ向かった。特に行く予定はなかったのだが、キャンパスにいたせいで意識が無駄に高くなってしまったので意識が高そうなスポットへ行きたくなった。この松山文創地区は、たばこ工場がリノベーションでおしゃれなショップやオフィス、博物館が入る施設を中心に前編でも触れた誠品書店や誠品行旅(誠品ホテル)があるエリアだ。
申し訳ないが、一番印象的だったのはタバコ工場ではなく、誠品の建物(上から2枚めの写真)だった。遠くからでも圧倒的な存在感と幾何学的な模様がインパクトを与えるが、近づくにつれ、建物の描く曲線から遠くからは見えなかった、隠れていた部分が顔を出してくるから面白い。見る人の視線や場所によって違った表情で人々を迎え入れる、そんな建築であった。
ここで何かしたのかと言われると全くもって何もしていないのだが、"Cultural and Creative Park"と言うだけあって、恐らく長めの作業をする人にはぴったりな場所だと思われる。エリア内には多くのカフェがあるし、池もありその周辺がウッドデッキとなっているため屋外で作業したい人にもぴったりと言えるだろう。1つだけ僕の中で点数を下げたことを挙げるとするなら、最寄り駅である市政府駅から10分程度歩かねばいけない点だろう。
そうして迎えた最終日。前日の夜に1人でバーへ行き飲みすぎてしまいしっかり二日酔いをした状態で目が覚めた(台湾は18歳以上から飲酒可)。ホテルにある水を一気に飲み干し、朝食バイキングでお粥を食べながら昨晩調子に乗りすぎた自分を恨んだ。
ホテルに戻り、荷造りを始める。チェックアウト時間はなんと12時と一般的なホテルが10時やら11時チェックアウトなのを考えるとなかなか良心的な時間設定であった。後に気付くのだが、帰りの飛行機がLCCではなく僕の好きな中華航空であったため必要以上にケチるような荷造りをする必要がなかった。ただその時は知らずに頑張っていた。
余談であるが、僕は中華航空を推している。中華航空は恐らく台湾のフラッグキャリアである。有名サッカークラブのスポンサーでおなじみ、UAEのエミレーツ航空のようにホスピタリティがとてつもなく良かったり、通常の保安検査に加えて独自の保安検査を行ったり、飛行機の貨物庫が耐爆仕様とも言われるイスラエルのエルアル航空のようにセキュリティレベルが凄く高いわけではない。本当にふつーの航空会社なのだが、個人的にフライトアテンダントが男女ともに容姿端麗である点が好きだ。知らねーよと言われればそれまでなのだが、嫌でも知らない人と恋人レベルの距離感で数時間を過ごさなければいけないことを考えるとそれ以外の部分で楽しみを見つけようとするのは人間の本能なのではないだろうか。
そんなこんなで12時にホテルを出て空港へMRTという高速鉄道で向かう。東京から成田空港へ向かうように、台北から桃園国際空港の道中は都会から徐々に緑が増えていく。4日間の旅もこれで終わりかとすでに恋しくなっている日本食、特に大戸屋の定食を想像しているとあっという間に空港へ着いた。
家族に文句を言われながら機内持ち込みサイズのスーツケースを受託手荷物として預けて保安検査を通過し帰路についた。
僕は台湾、台北が好きで嫌いだ。僕の目には通りかかる若い女性は一部を除いてみんな綺麗に見えるし、マンゴーが好きな僕にとっては日本に比べてはるかに安い値段でマンゴーをいっぱい食べられる。スタバのカップのサイズも日本よりも大きいし、値段だって当然安めだ。電車内が飲食禁止なのには辛いものがあるが、中途半端に中身が入ったチューハイが電車の揺れでゴロゴロと自分のところに転がってくることは絶対にない。いいことだらけのようにも見える。
しかし、街中どこを歩いていても日系の飲食店(大戸屋、吉野家、しゃぶしゃぶ温野菜など)や無駄に大きな声で話している日本人、日本語OKの文字。異国というほどの緊張感がまったくない。随所に日本統治下の建物が残されており、複雑な環状になる。僕は旅行中、「Where are you from?」という問いに「I'm Japanese」と答えることができなかった。日本人であることを恥じている自分がそこにはいた。植民地支配をしていた罪悪感と言ったことではない。未だ或いは再び、日本は台湾を支配しているような感覚があった。それは文化的にだ。書店には日本のファッション雑誌が無数に売られているし、恐らく公共交通機関であろうバスのラッピング広告には日本のAV女優(上原亜衣)や阿部寛、大川隆法がいたする。前述のように日系の飲食店は無数にあるし、セブンだってファミマだって都内で目にする数くらい無数に展開している。
それが良いことなのか悪いことなのかは1つの側面だけでは判断できることではないし、両国関係が良好であることから考えれば凄く自然なことなのかもしれない。それでも僕がその雰囲気を好くことはなかった。
もう一度言うが、僕は中華系の方の顔の骨格が好きだ。加えて、女性の化粧も日本とはまた違って好きだ。
2020年以降はぜひ、台湾のみならず、香港や深セン、上海といった場所にも訪れたい。香港に行った際には間違っても大学内を歩いて治安当局に拘束されることだけは気をつけるだろう。