わたくし歴史
noteを始めて3ヶ月ほど経ちました。
今もどんな機能も使いこなせてはいません。
でも、皆さんの記事を拝見するのがたのしくて。。。
しかも、こんな拙い私の文章力にスキやフォローまで
して下さるのがありがたいと感じています。
ところで私がnoteを始めたきっかけは?
。。。そう、
このお年頃ですから
「忘れないように・・・」と記録する事でした。
そこで、
過去を一度振り返ってみて
『わたくし歴史』を残しておくことにします。
( ↑ 何を偉そうに・・・)
まあ最初に記した自己紹介より前の記録ですね。
長いわよ〜
だって67年も生きていますから。。。笑
私の母はとても怖い存在だったので
子供の頃は言うことを聞いていれば良かった。
傍から見ると良い子に見えましたが
それは「自分」を抑えていることでもあり
反抗期すら無く育っていったのです。
危ない子供時代だったかも。。。
性格が一変したのは高校時代。
3年間同じ担任でしたが
その方が様々な影響を与えてくれました。
ぶつかる事も経験したし
親に言えない相談も何故か出来た。。。不思議。
今はおじいちゃんですが当時は若い先生でした。
ぶつかりながら自分の意見が言えるようになっていった。
ある時、生徒会長になりたい男子から
推薦人を頼まれて。。。頑張っちゃったり(笑)
物凄く積極的になっていましたね。
その結果は当然(?)彼は生徒会長になりました。
変なウワサも出ましたが、そういう感情は一切なく
今では顔も名前も思い出せない( ←・・あらっ大丈夫かしら?)
本当にただのクラスメイトでした(笑)
高2になると文系(5クラス)と理数系(1クラス)に
振り分けられるのですが
自分の意思には関係なく理数系になってしまう(泣)
今も数学の授業で泣きながら立ち尽くすという夢を
よく見ます (現実世界ではそれは無かったけれど。。)
だって好きではない授業を受けるのって苦痛でしょ?
文系は6時間授業、でも私のクラスは7時間目があり
訳のわからない数字に翻弄される毎日でした。
得意ではない勉強は、
取り敢えず熟す毎日。。。イヤイヤね。
卒業式では担任の指示(←命令?)により
「総代」のお役目を仰せつかり
見栄っ張りの母が喜んでいた姿を思い出す。
実はこの時初めて
母が私を褒めたのです。
。。。今でも信じられない・・・
壇上で卒業証書を受け取るだけなのにね。。。
その後は理数系とは全く関係のない
美術系(造形学科)の女子大(短大)へ〜
しかも推薦で進学できました・・・不思議(!)
そこに決めたのは、
中学の時の憧れの先輩がいたから。。。
なんと安易な思いつきでしょう(笑)
結局先輩には学校内で会えなかった(泣)
卒業後は、
靴メーカーの企画室でデザイナーになりました。
しかし、その仕事にやり甲斐は見つけられず
ちょうど夫と知り合ったのもあり
すぐに寿退社してしまいました。
そして専業主婦になりました。( ←婚家の言いつけを守る嫁)
しかし、単発でデザインの仕事の依頼は受けたりして・・・
息子がアメリカの高校に行ってしまったので
一生懸命取り組んでいた子育てが出来なくなる頃
夫が庭に小さな小屋を建ててくれたので
そこで当時流行っていた
『生活雑貨のショップ』を始めることにしました。
何故か?
色んな伝手があり
日本では未入荷の海外のポプリや
陶芸作家、ガラス作家、籐芸作家の作品も
お取り扱いさせて頂きました。
仕入れには作家さんの元へ旅行気分で出かけました。
岐阜の山奥だったり。。。静岡だったり。。。
自分では、
その当時は珍しかった造花を使ったアレンジメントや
ステンシルなどを自作していましたので
ショップと並行して
ワークショップにお声がけされたりしてました。
すると、
西麻布の知人から物件紹介があり
なんと西麻布にお店を移しました。
でもね、
楽しかったけど場所柄お家賃がめっちゃ高いし
近所に住む知人が毎日やって来ては。。。
ちょっとめんどくさくなりだしたので撤退!
その後はネットショップをメインにして
のんびりとやっておりました。
当然仕事としてではなく
趣味としての活動です。
そして何年か過ぎた頃、
今度は別の方の紹介で
世田谷の駒沢公園近くで
ドッグカフェを始める事になりました。
正確に言えばこの時の経営者は息子です。
しかし一緒にやるはずの息子の友人とのトラブルで
私が手伝うことになってしまいました。
もちろん看板犬はうちの愛犬たちです。
場所柄TVで拝見する方々やスポーツ選手が
来店してくださりで楽しかったけれど
そういう方々って
オーラを消していらっしゃるのですね。
だから私はほとんど気づかず
アルバイト君に教えてもらうという実態(笑)
当時はパンケーキが流行る少し前でしたが
雑誌やラジオの取材もありました。
うちの店の売りは
アメリカンパンケーキとベニエでした。
しかしキッチンをほぼ一人でやっていたので
私の体が持ちませんでした(泣)
。。。ホント疲れちゃったの。
その後は、
愛犬たちがシニア期に入りましたので
毎日のお世話が私のお役目。
もしかしたらこの時期が一番充実してたかも。
その頃今度は夫が何やら始めてしまい
それに合わせて生活を始めたので
引っ越しをしたりとかして
老後に向けての準備段階に入りました。
そして、
お犬たちがお空へと引っ越し
二人っきりになったところで
。。。。。夫までもがこの世から去ってしまう
ある朝、西田敏行さんと同じような旅立ち
(↑夫はちゃっきちゃきの無名人ですが・・・)
ひとり取り残された感満載で
この時は泣くというより
途方に暮れる日々でした。
ここからは人生未経験の
「ひとり暮らし」となり
今に至ります。
これを書いていて気づきがありました。
長くて拙い文章をお読みいただき
ありがとうございました。