権利の昇天
ラーメンが大好きだ。母親の次くらいに好きで、母親とギターに挟まれると言った具合にカオスなランキングは置いておく。そんなラーメンを夕食にした帰り道だった。小生、車を草臥れた一日と共に飛ばしていると何やら困った事態に阻まれた。食後のうとうと酩酊思考がほとんど出来ぬくらい血が頭に巡らぬ時に何じゃと眼をかっ開いた。家まで300メートル位のところからかなり細い道になる。どのくらい細いかと言うと、小生の肝のようにひょろひょろで1トントラックのようなガキ大将なんぞはすれ違えないような申し訳程度の道である。
そんな行く手を阻むは1台の軽自動車である。左を見ると、個人で昔昔その昔からやっているような古い、看板の色褪せた、きっと地元民御用達の制服屋があった。軽自動車は小生の肝のようにひょろひょろな道の端に路駐、制服屋の真ん前に座っていた。むむっ、これでは前に進もうにも進めん。何せそこはカーブの頂点にて対向車が軽様の背中で見えないのだ。困ったぞ、しかし小生こんなことでは狼狽えぬ。我が首を目一杯伸ばして対向車を確認する。しかし我が首までカーブせぬ故、20m先が見えぬ。ぐひひと奇怪な声と共にアクセルに足をかけた。対向車様よ我に道を譲れ。心気昂揚しつつ対向車線を風切った。今年は大吉、運の良い事に対向車は無かった。
ふうと息をついて小生少しく冷静になった。ラーメンが胃の中で暴れてはいたが。あの制服屋に駐車場が無いことは仕方が無い。路駐するのもまぁ分かる。しかし、カーブの頂点に悠々と車を停めるのはどうか。万一、自分が停めていた車のせいで事故が起こる確率が上がることは考えなかっただろうか。大袈裟かもしれぬが、小生ならもっと手前に路駐し20メートル位はこの脚で歩き制服屋に入る。小さいことをグチグチとうるさいわい痴れ者戯けと思われるのも小生の肝には癪なのでこの位にしておく。自らの行うことが他人にとってどう作用するかをちったぁ考える必要があるのでぇござぁせんかー?宿酔故口調が定まらない。
まぁ人生思えばこんなこと多々感じる。電車にて、中年脚をかっ広げること実に3尺。小生を阻むかおのれ、と思いながら若干近づく。小生に目力があるのか中年の脚がずずずと閉じていく。ふむふむ苦しゅうないぞと思いながら、健気にぺことお辞儀をして座る小生。また別の話だが、小生の職場ではスタッフが休むと出勤がほぼ確定するのだが、我が休暇羽休めを阻むように連続でスタッフの休日が続くことがある。おのれ権利を振りかざしおって。権利の前では小生も震えて小さくなりOKサインを出すしかなくなる。
要するに浮世では自分の行為が他人を動かしたり、動きを制限することが多いのだ。大きな例が権利だろう。一番最初の話では小生ですら対向車が見えない中で対向車線を走った。仮に車が来たら止まってもらうつもりだった。また、電車の例ではきっと小生の察せというオーラ雰囲気がおっさんの太腿を閉じさせた。ふむふむこんなことばかりでは身が持たんと思い、芋焼酎をストレートで煽った。ゲラゲラと高笑いをしてお笑いなんか見て、尻をぽりぽりかいてる休日。
、、町田康っぽい文章意識してみた。