雉鳩の思い出
雉鳩が鳴いている。一定のリズムで。癖になる鳴き声は忽ち教科書の文字にモザイクをかけた。外を見ると夕焼け空が広がっている。小学6年生になったばかりの私は6時間目まである日をやけに長く感じた。企画委員長、つまり生徒会長の私は委員会が6時間目の後に残っていた。16時10分に6時間目が終わり、3階にある図書室で打ち合わせがあった。打ち合わせといっても政策を打ち出すとか、学校をよくするための種々の改善点を議論するような仰々しいものでは無く、先生が粗方用意した掲示物を壁に貼り付けたり企画委員同士お喋りをして過ごしていた。二つ下の夏樹ちゃんと会えることが楽しみだった。夏樹ちゃんが近くにいると、上手く喋れない、頬は赤くなり、変な汗をかいた。一言も話すことはないが、よく思ってもらえるように色々張り切った。他の企画委員と話す時に威張って大きな声で話したり、掲示物作成を目を光らせて全力でこなしたり、先生に積極的に話しかけたりした。夏樹ちゃんは緘黙症だった。「無口の夏樹ちゃん」と陰ながらあちこちで言われていた。私は夏樹ちゃんのか細い声が可愛いのを知っていた。笑う時は下品な位にゲラゲラと声を上げて頰を上げて笑うのを知っていた。そして、夏樹ちゃんには好きな人がいることも知っていた。私の三つ下の妹が夏樹ちゃんと仲が良く、夏樹ちゃんが家に遊びに来る姿を何度も見ていた。
下校時間になると直ぐに同学年の友樹と浩也とグラウンドで野球をした。夏樹ちゃんにいいピッチングを見てもらうためだ。夏樹ちゃんはグラウンドに沿って下校の道を行く。グラウンドに沿って歩く夏樹ちゃんを僕は見逃さなかった。大きな声を出して夢中でボールを投げた。友樹の頭に当たりそうになったが、夏樹ちゃんの方を見ながら気の抜けた「ごめんごめん」を繰り返していた。夏樹ちゃんが見えなくなってからはそれほどやる気が入らなかった。全校生徒46人の小規模校だったので全校生分の家をしっかり覚えていた。夏樹ちゃんの家は友樹の家から50m程のところにあった。私の家に比べたら二回り程大きかった。お金持ちで、綺麗で、それだけで何倍も魅力に感じた。夏樹ちゃんは遂に私と喋らなかった。夏樹ちゃんは自転車に乗っている時に自動車に轢かれて死んでしまった。それ以来私の家に水色の自転車が来ることは無くなった。不思議なことにそれを境に夏樹ちゃんのことを考える時間が減っていった。
浩也の事は今思えば嫌いだったと思う。児童館の頃から一緒でいつも遊んでいた。流行りのゲームを買ってもらえる一人っ子の浩也は羨ましかった。中学生になってから中古で浩也が持っていたゲームを買ったりした。浩也は習い事を沢山やっていた。水泳、そろばん、バスケットボール、剣道。人一倍力があり、口喧嘩や殴り合いなどでは誰も敵わなかった。友樹が泣かされるのをしょっちゅう見ていた気がする。なるべく嫌われないようにすること、勉強だけは負けないようにすることが私にとって何より重要だった。浩也は私には強気な態度を取れなかった。ある昼休みのことだった。浩也が二つ下の竜二と喧嘩をしていた。何がきっかけで喧嘩をしているのかは分からなかったが、浩也が一方的に殴りつけていた。ふとした瞬間に竜二が一本背負いをした。グラウンドで宙に舞う浩也の姿を今でも覚えている。お互い泣きながら睨み合って、間も無く先生が間に入った。
私は痛い思いをしたくなかったが、それは自分の努力だけでは虚しいものだった。ある昼休みにドッヂボールをしていた。浩也は「ゲーム脳」とあだ名が付く程に残忍な性格と思われていた。私も例外では無かった。外野からのボールを転びながら避けると、敵陣の浩也がその距離1m程のところにボールを携えて立っていた。私は慌てて逃げようとしたが遅かった。浩也が全力で転んだ私にボールを投げた。痛みは臀部を突き刺した。私は耐え難い痛みと怖さで泣きそうになった。満面の笑みで浩也がこちらを見ている。雉鳩の鳴き声が体育館の外から聞こえた。私は怖かったので面と向かっては言えず、浩也に背を向けたまま「しね!!」と大声で言った。すかさず浩也がこちらに近づいてきて「うるせーデブ!!」と言った。何を言われても余裕の浩也が怖かった。頬が赤くなった私はすぐさま教室に逃げ帰った。浩也は悪党だと私は言いふらして回った。当時は簡潔でいい。嫌いということは悪党ということだったのだ。
私には弟がいた。四つ下の弟。私の言うことは何でも聞いてくれたし、可愛らしさがあった。私が野球に行こうと言うと後ろに張り付いて「にいちゃんにいちゃん」と、嬉しそうにしていた。弟と野球をしていた夕方だった。友樹と一個下の昌弘がグラウンドにやってきた。2人は何をするでも無く、ブランコに乗っていた。私は弟とキャッチボールをしたり、50m走をしたりしていた。間も無く友樹と昌弘がこちらにやってきた。何か嫌な予感がした。友樹は弱い者いじめをよくやった。下級生に暴力を振るっていた。私の弟は「なに?」と怖いもの知らずに友樹に言った。それが友樹の癇に障ったのか、弟は標的となった。弟を二、三発殴った後に滑り台に連れていった。滑り台の傾斜に弟を寝かせて、弟の顔面に跨って座った。弟は息が出来なくなりジタバタと手や足を一生懸命に動かした。私は「おい、そろそろ」と気の抜けたことしか言えなかった。友樹が腰を上げると弟は涙を流して、ヒューヒューと弱った呼吸をしていた。
昌弘が弟を逃した。可愛いはずの弟はいつの間にか見たことのない強張りを顔に携えて、友樹を睨んでいた。私は友樹の機嫌を取るように「ごめん、」と言った。しかし、弟があまりにも不憫に思えたため石を持たせた。私は怖くて震えていた。どうしていいか分からなかった。そして私は口を開いた。「その石で友樹を殺せ!!」友樹も昌弘もキョトンとしていた。私自身なぜこんなことを言ったか分からないが、凡そ悔しいという感情と怖いという感情が入り混じっていたのだと思う。弟は躊躇った。私はさらに「俺がお前だったらその石投げるぞ」と心ない言葉を弟に放った。弟は石を地面に捨てた。場の誰もが何も言わず、視線をどこかに向けていた。弟だけが友樹を真っ直ぐに睨んでいた。雉鳩の鳴き声が夕暮れ時のグラウンドを覆っていた。
「今日は帰ろう」と言って、私は逃げるように弟を連れて家に帰った。弟はずっと泣いていた。親には自分の非が咎められないように、取り繕って全て友樹が悪いことにして説明した。弟はその間も泣いていた。弟はその日のことに関して一切を口に出さなかった。私はその日以降も友樹に嫌われまいと努力した。
大学生になった私は、叔父に弟の件を打ち明けた。弟が友樹に何をされたのか、私が親にも言えなかったことを後悔していること、友樹がその件を忘れていること。叔父は私をひどく叱った。叔父が私を叱ってくれたことは不思議と嬉しかった。ずっと言えなかったことが言えたことにスッキリしたのか、叱られたことが贖罪になると思ったのか嬉しかった。その後、弟に改めて謝ることにした。私が住んでいたアパートに弟が泊まりにきた時、あの日のことを弟に話した。しかし、弟の返答は意外なものだった。「そんなことあったっけ」と私が作ったカレーを頬張りながら何食わぬ顔でそう答えた。「兄ちゃんのカレー美味しいわ」とその後に続けた。
※登場人物の名前は仮名です。完全なフィクションでもないし、完全なノンフィクションでもありません。