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何が地方創生に不可欠か?

長野県の奥地といえる飯田で尽力する日々ですが、当然ながら、起業という新しい挑戦では、多くの困難がつきものです。

それでも、大都会で仕事していた時に比べて毎日がワクワクするのは、「好きを究める」姿勢ある方々とお仕事ができるゆえではと先日気づきました。

いかんせん、大都会では家賃の重圧は大きく、金融機関の顔色がつい気になり、その中で、ゼロから尖った企画を生み出し、続けていくのは、多くの困難を伴います。

今月はしのげても、来月はどうか、大都会では、誰にもわかりません。

まして非正規雇用になると、来月でいきなり社員寮から出されて、ネットカフェ暮らしか、路上生活になっているかもしれません。

ですが、飯田では「今後もやっていける」という希望を持ちやすいと気づきました。

上記を飯田市内で話すと「大都会なら、好きを究めやすいのでは、と逆に思っていました。意外です」との反応を以前いただきましたが、大都会は隅々までシステム化され、地方は解放区となる余白が残っていると私は感じます。

とはいえ、女性が働く、さらには起業するという観点では、課題も依然として多々存在しており、改善が急務と私は感じます。

飯田に限らず、地方では家族のつながりが大都会よりは期待できることから、例えば「子どもは祖父母に見てもらうべき。家族内で子育てを完結すべき」という感覚が比較的強いと私は感じます。

大都会ではベビーシッター助成はおなじみですが、地方ではそうではありません。

パンデミックを経て、風邪の子どもを高齢の親に預けるのは困難になりましたが、病児保育は地方では整備されていません。

突きつめて考えますと、助産師や保育士や病児保育に投資しない地域は、子育て世代や育児関係者に「来なくていい。住まなくていい」と言ってるのと、全く同じと解されてしまいます。

昭和以来、地方は大都会への人材の供給源を担い続け、今は転換点で、今後は地方で活路を見出す若者が増えることが、各人の幸せ、そして日本社会の持続性の観点からも大切です。

ですが、誰しも善人で、誰も悪気はなく、もちろんその意図ではなくとも、結果的に従来の地域社会の価値観で子育て世代を虐げてしまうと、地方は人材の供給源にすらなれなくなります。

少子化でも人材の供給源をまだ続けられれば、将来帰ってきてくれる未来がありえますが、無子化ならば人材の供給源にすらなれません。

地方の女性に、日々の逼迫をお聞きすると、大都会の女性と何ら変わるところはありません。

いえ、むしろ都会よりも制度等が整っていない分、水面下の苛烈さは大きいかもしれません。

大都会に比べて、地方ではジェンダー(男性に特権が備わる社会構造)の議論はあまり日常では聞かれないかもしれませんが、それは地方女性が鈍感なのではなく、大都会に比べて自らの痛みの言語化をする機会が少ないだけと最近気づきました。

ですが、心の中で積もり重なるものはあり、もし静かに本人の中で爆発してしまうと、急に大都会に出ていってしまい、いわば「関係性の突然死」というべき地域社会の悲劇になります。

地方から都会への女性の流出は、男性特権が支配的で、女性に静かに無意識のうちに生きづらさを引き受けさせてしまう従来の構造を謙虚に改めるところから始めなければ、今後も好転はありません。

「ジェンダー格差是正なき地方創生はありない」という理解が、もっと各地に広がらねば、今後も地方の困窮は進みます。

女性問題は男性問題であり、男性で新しい意識を持つ方々が増えることに、微力ながら貢献したいと願い、上記の気づきを申し上げます。

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