自己紹介
初めまして。
けんぞう と申します。垂れ目の持ち主です。
画像の絵は私をモデルに妻が描いてくれたものです。
私はこんなに可愛くはありませんが、とても気に入っています。
それでは、表題の通り自己紹介をさせていただきます。私は現在、ある企業で管理職をしています。
とは言っても学歴も能力も低いただの40代です。
たまたま受かった管理職試験のおかげで、なんとかやっていけています。
私は小中高で登校拒否を繰り返した過去を持っています。当時は学校へ行きたくても朝起きると胸が苦しくなって何度も登校を拒否していました。
自分の甘えから始まった登校拒否は、取り返しのつかないほどに膨れ上がり、人生の選択を狭めていきました。
それでも野球とバレーボールが友達との関係を築いてくれて、「ここに居ていいんだ」という存在意義を与えてくれました。
高校では出席日数が足りずに留年が決まり、通信制高校へ転入しました。高2から始めた牛丼屋のアルバイトを6年続けた後、同年代が就活しているのを見て気持ちが焦り、ブラックな企業へ入社してしまいました。
そこは先輩の給与未払いなどが相次ぎ、不審が募って3ヶ月で退職。
就活を1年続けて今の会社へと辿り着きました。
やっと入社したこの会社はパワハラが横行している組織で、恐怖政治が支配していました。
言うことを聞かないと、干されるのです。
誰もやりたくない仕事を押し付けられてしまうので、言うことを聞くしかない風潮になっていました。
真っ当な意見を言えば、否定され続け、結局は干されてしまう。出る杭はとことん打たれていくのです。
そして、一度打たれた杭は、そう簡単には戻りません。
人事査定では、社員を事実で評価せず、噂や想像で評価が決まっていくのです。気持ちの悪い光景でした。
必然と忖度も始まり、上司に従うものとそうでないものとで二極化し、組織は「進化と成長」が完全に止まってしまいました。
いわゆる、「NOとは言えない組織」の完成です。
赤いボールを見ても、上司が青と言えば青のボールになります。
ここまでくると活気もなくなり、自分の意見を言う社員はいなくなりました。
陰で愚痴をこぼすだけの集団に陥り、何人も辞めていったのです。
しかし、13年経過して、この恐怖政治は大きく変わることになります。
二極化した勢力がぶつかりあったのです。
同じ思いのある人が束になって正当な意見を放ち、組織構造改革へ舵を切り始めます。
私もコアメンバーとして活動し、負の勢力を押し退けるよう尽力しました。
現在は3年かけて人事の異動などが起こり、「進化と成長」が始まっています。
その後、管理職に昇進し現在に至ります。
いやいや、そうかそうか、めでたしめでたし。
とはなりません。ここまで書いて、「はい終わり!」ではなく、私の本題はここからです。
この管理職というのは、長時間労働職です。
この長時間労働は、私の大切な時間を奪っていきます。
個人的な能力の低さが長時間労働に加担している可能性は否定しませんが、このままを生きるのはあまりにも悔しいと思ったのです。
何故なら、効率化、仕組み化などの改善改革をこの3年で多く実行してきましたが、その都度家族との時間を犠牲にしていることに気付いたからです。
以前、妻の実家へ一緒に帰ろうとしていたのですが、急に仕事が入ってしまい私だけ行けなくなってしまいました。
その時、妻はこう言ったのです。
「仕事だもんね。うんうん、わかるよ。仕方ないよね。そういう立場だもんね…でもね、わたし恨んでる!」
言葉が出ませんでした。
絶句です。
妻から本音の本音が出て正直驚きました。
その後、多くの時間を費やし私なりに出した答えは、
『起業する!!』
です。
自分の時間と家族の時間を第一にして生きるためにはここにいたらいけない。
雇用される側にいては根本的には何も変わらない。
そう思ったのです。
というわけで、まだまだ、半ば途中ですが私の生きた経験が誰かの役に立つかもしれないですし、妻と子、そして私自身の自由を求めて、今後の動向や日々のつぶやきなどをnoteに記してまいります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
以上、自己紹介でした!
それ