俺の60のキーワード【10-2.ポール・ウェラー】
いやー、60歳のうちにその六十年間でのキーワード60について書くとコミットして、わずか10ワードにとどまってしまい、そして61歳になった上に、すでに4月も終わろうとしている。ということで再開することに。で、ジョンに続く俺の音楽にとどまらず生き方にも大きく影響を与え続けてくれているポール・ウェラーについて。
ポール・ウェラー(Paul Weller、本名John William Weller、1958年5月25日 - )は、イングランド出身のシンガーソングライター、ミュージシャン。同国のパンク・ロックバンド「ザ・ジャム」出身。「スタイル・カウンシル」のフロントマンを経て、ソロとして活動。2006年『ブリット・アウォーズ』功労賞。Q誌選出「歴史上最も偉大な100人のシンガー」第76位[1]。wikipediaより
たった3つ先輩なのだ、彼は!最初の出会いは1984年に会社の同僚鈴木幹男のうちにあったポスターに目が止まり、その音楽の虜になり、そこから嵌っていった。実はそれまではアメリカンTOP40、ウェストコーストロック野郎でイーグルス、ジャクソン・ブラウン、ビリー・ジョエル大好き好青年だったのだが、そのポスターの曲My Ever Changing Moodsが収録されている「Cafe Blue」が織りなす様々なフォーマット(Jazz,、HipHop、ロック、ポップス、ソウル、ボサノバ)ながら一本筋の通った熱いAttitudeに惚れ込み、Modsという「生き方」に心酔していった。
このアルバムから彼の過去(The Jam、The Style Council)の作品にどんどん遡り、また、彼のルーツ(Impressions、Small Facesなど)も追求していくようになった。そしてModsのファッションにも。当時はまだスーツが常識の時代であったが、テーラーフクオカでポール・ウェラーの写真を持っていき、これと同じのスーツを作ってくれとオーダーし、それを着て会社や営業に行った。いやー、クールだったなー。笑
三ボタンの上二つがけ、狭いVゾーン、サイドベンツ、足元は16インチ
その後鈴木幹男とロンドン三週間滞在(外資系ならではの特権)し、The JamやThe Style Councilの7インチEPを買いあさり、憧れの100Clubをはじめとするライブハウスにも行きまくった。
日本でのライブ(スタカン以降)はほぼ行ってるが、一番印象に残っているのは彼がThe Style Councilを解散し、ソロとして再スタートした1991年クラブ・チッタでのPaul Weller Movementと呼ばれるThe Jamなどの過去の曲も含むクラブ・サーキット・ツアーだった。ソロデビューは本国イギリスではあまり評価されず、アルバムは日本ポニーキャニオンが世界に先駆けて発売、ライブではギターを激しく弾くポールの姿に熱狂した。The Style Councilの後年ではギターはあまり弾かなくなっていたのだ。この段階で誰がその後のソロでの成功を予想できたであろうか?しかし、彼はチャートにも復活したので。未だに精力的に新作を創作し、その新曲を中心にしたツアーをやっているポールは、俺にとっての永遠のアイドルであり、リスペクトできる師匠であり続けるだろう。俺もそうでありたい。