#24 中学三年生冬 社会人となる
おはようございますー!12/8(木)。寒いね。
皆様お仕事や家事育児、夜の営み(ヤメロ)等々、
順調ですか?(昼に営む派の方もみえますかね)
うん。
僕も昼や朝早くの方が好きだったりしますね(オダマリ)
ワタクシ昨日大きめな大工仕事をようやく終えることができました。これにて少し、解放されます!
今回は短めに書こうと思う。この後11時くらいにはもう大阪に向かわないといけませんのでね。今夜は大阪AZYTATEにてライブです。京橋。やりきるぞ。
では今日こそ頼むねタイマー!
ルールは守るためにあーーる!!()
仕事の話少し書いたのと、この寒さと、昼とか朝早くのエッチも好きだよってことで思い出したんだけど。
これよく驚かれるんですが僕、働きだしたの中学三年生の12月からだったんです。まさにこの時期。
家庭環境の悪さや自分の弱さなど諸々絡み合って、僕は中学三年生の途中からはもう学校には行かずに、その辺をうろつくただの非行少年になっていました。
時々派手な格好で学校に行っては、悪さをし迷惑をかけ強制的に帰らされる、みたいな無駄の極みを繰り返していた日々だったのですが、ある日僕の家の事情を知っていた担任の先生や校長先生に呼び出されまして。
「日野くん。君は身体が大きいし地頭も良い。進学は家庭の事情で無理なことは先生達も分かっています。そんなに力が有り余っているなら、君は今すぐにでも社会に出て仕事をしてみてもいいかもしれないよ。卒業したらそこでそのまま働けるような仕事を今から一緒に探さないか?そして来週からでもそこに見習いとして働きに行くといいと思う、少しグレーゾーンな話だけどな」
こんな感じのことを言われたんだったかな。
今の時代だと無理な話かもしれないですね。
ともかく僕は、「じゃあ行きます」と答えたんです。
早く働いて稼いで、寮でもなんでもいいからすぐにでも一人暮らししたかったし、何よりも僕は自由になりたかった。自分の人生を生きたかったから、その時なんの迷いもなかったんです。
その後色々なやり取りを経て、僕は中学三年生の冬、12月くらいからは学校には行かずにせっせと働き始めていました。謎の外国人に囲まれながら。「鉄筋加工」という職種でしたね。
ただ、僕が住んでいた場所は豊田市(今と同じ)。その鉄筋加工の工場は豊明市という離れたところで、なかなか距離がありました。どうしようかと。僕と先生は一緒に考えました。そして、
朝5:30に起きてまず始発のバスで最寄り駅まで向かう。そこから電車で豊明まで向かう(豊明の赤池?前後?とかそのあたりに通ってたと思う)。田舎なのでその駅から工場までがまたなかなか距離があるということで、そこの駅の駐輪場に僕の自転車を停めておいて、その自転車で片道30分ほどかけて工場まで行く。そして8:00からメチャクチャ怪しいペルー人と共に働く。18:00に仕事を終え、この流れを巻き戻す動きで家まで戻る。21:00過ぎに帰宅。
という、とっても中学三年生らしい生活を送っていました。(ドコガダヨ!)
いやぁ、本当に寒かったなぁ。目とか溶接焼けして痛みで涙止まらんかったりしたり色々酷かった笑。
おっ、タイマーだ。今日はここまで。また時間があったら書きますね。
色々あったけど、なんとかやってこれたよ。
今となっては全部良い思い出かな。あの当時、担任の先生が僕に"何もしてやれなくてごめんな、これで頑張るんだぞ"と、安全靴を買ってくれたんです。つま先に鉄板が入ってるやつね。重たいものを落としても大丈夫なように。
初めて、"仕事をする為の靴"を履く僕にとっては、それは凄く輝いてみえた。苦しいことがあっても、どんなに辛いことが僕に落ちてきたとしても、この靴が守ってくれるような、そんな気がしました。
今も大切にとっています。馬渕先生、ありがとう。
これで僕は自由だ!どこまでも歩んでいけるぞ!
なーーんて思えた15の冬でした。
あの頃を思い出すと、今なんて楽勝に思えます。
じゃあそろそろ一発抜くね!(バカー!)
続きはまたいつか!今日も頑張ろうー!!
これなに?